首脳陣から心ない言葉「またファーム行け」 監督交代で人生暗転…再起かけた“大ウソ”

阪神も2年で戦力外…ダイエー入団決定的だった時に起きたハプニング

 1994年、阪神1年目は守備要員や代打でも1軍で活躍できた。しかし、これも続かない。2年目の1995年は1軍出場がなく、2度目の戦力外通告を受けた。このときはコンディンションも最悪だった。「膝が外れていた。亜脱臼していた。関節がずれていたんです」。今度はどこからも誘いがなく、12月になった。「もう無理だな」と諦めかけた。

 だが、まだ終わらなかった。ダイエーの水谷実雄打撃コーチから「野球やる気あるんやろ、2月にテストを受けに来い! 体を作っておけ!」と言われた。ここでまた奇跡も起きた。この状態では無理だと思っていた膝が良くなった。「九州にいる女房のお姉さんに、福岡でも暴れますわって言って冗談でパッと飛んだときに、パキッと外れていた膝が戻ったんです」。

 これならいける。1月にトレーニングして、ちょっとくらいは走れるようになって、2月にダイエーのテストを受けた。「いきなり3、4キロのランニングがあったけど、大丈夫だった」。練習終了後に高知市内のホテルで入団会見することになった。しかし……。

 練習終盤、シートノックを受けた時に「膝がまたパコンと外れた」。背番号0、年俸1000万円で契約すると伝えられてもいたのに、これですべてがなくなった。もう現役引退を決意するしかなかった。そこから始まった。さらなる苦難の日々が……。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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