「何を根拠に…」プロ初登板直後にフォーム変更指令 球速20キロ低下…苦しんだ5年間

投球フォームを忘れストレートの球速は20キロ低下

 なかなか、結果を残せないドラ1左腕に対し、コーチ陣は何度も投球フォームの変更を求めた。肘の角度やテークバックを数センチ変えていくうちに本来の投げ方を忘れ、最速145キロだったストレートは20キロも低下し、1軍の舞台は遠ざかった。

 その後も球速は戻ることなく2001年、2002年と2軍生活が続いた。その間の2001年オフには左肘手術も経験した。もう、後がなくなった左腕は4年目を迎える2003年に「生き残るための決断」と、一度は拒んだサイドスローに転向。大学球界を沸かせた本格派左腕は、なりふり構わず腕を振り続けた。

 その甲斐あってか2003年には3年ぶりに1軍登板を果たしたが、大きなアピールはできず2試合の登板に終わった。レギュラーシーズンを終え、秋季キャンプのメンバーに自身の名前が入っていないことに気付いた。2軍施設がある雁の巣で残留組となり「怪我もしていないのに秋のキャンプに不参加ということはそういこと」と、戦力外を覚悟した。

 半ば諦めムードの中、練習を行っているとリーグ優勝を果たした1軍メンバーが2軍施設に姿を見せた。そこにはもちろん、王監督の姿もあった。「お前、何やってんだ?」。戦力外寸前だった左腕に転機が訪れることになる。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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