ドラ1左腕・田中総司が戦力外を免れた一世一代の投球 胸元攻めた王貞治との“ブルペン対決”

ダイエーを逆指名して1位入団した田中総司氏【写真:橋本健吾】
ダイエーを逆指名して1位入団した田中総司氏【写真:橋本健吾】

2003年オフ、2軍施設で行ったブルペン投球を王監督が視察

 1999年のドラフトでダイエーを逆指名し1位入団した田中総司氏。立命大時代は最速145キロの直球を投げ込み、「大学No.1左腕」として活躍したが、プロ生活はわずか5年間と苦悩の連続だった。一度はプロ4年目で戦力外の危機を迎えたが、窮地を救ってくれたのは王貞治監督(現会長)との“対戦”だった。

 サイドスローに転向するも2試合の登板に終わった2003年。レギュラーシーズンを終え、秋季キャンプのメンバーに名前がないことに気付いた田中氏は「怪我もしていないのに秋のキャンプに不参加ということはそういこと」と、戦力外を覚悟していた。

 失意の中で練習を続けていると、1軍メンバーが2軍施設にやってきた。3年ぶりのリーグ優勝を果たし、阪神との日本シリーズを控えていたためだった。その時、たまたまブルペンに入っていた田中氏の元に王監督が「何やってるんだ?」と視察に訪れた。

 ノックバットを片手におもむろに左打席に入った王監督。「当てたらどうしよう、と最初は思った。でも、これで逃げたら後悔する。当ててもいいからギリギリの内角を攻めよう」。もう、失うものはない。吹っ切れた左腕は思い切って胸元を攻め、外角へ逃げるスライダーを何度も投げ続けた。

「何でそんな良い球を投げているのに、キャンプに行ってないんだ。何してるんだ!」

“一世一代”の投球が認められると、2日後に福岡ドーム(現PayPayドーム)で行われる全体練習に呼ばれた。阪神のエースだった井川対策としてシート打撃に登板。松中、井口、小久保、柴原、バルデスら主力打者を相手に完璧な投球を見せ、無失点に抑えた。

 その後、日本シリーズのメンバーには登録はされなかったが、王監督へのアピールに成功したことで同年オフに戦力外は通告されず。現役続行の道が開けた。

2004年オフに戦力外…トライアウト準備中に襲った左肩の激痛

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