明らか大誤審、ナインは試合続行“拒否” 物々しいグラウンドで起きた「伝説の10分」

“ミスターブルーウェーブ”と呼ばれた藤井康雄氏【写真:山口真司】
“ミスターブルーウェーブ”と呼ばれた藤井康雄氏【写真:山口真司】

データ&相性重視した仰木マジック…第5戦で初安打

 阪神大震災が起きた1995年にリーグ制覇。だが、本拠地・神戸で歓喜の胴上げはできず、日本シリーズもヤクルトに敗退。それが翌1996年はリーグ制覇を神戸で決め、さらに、巨人との日本シリーズも第5戦で勝利すれば、日本一も神戸で実現できる。そんななかでの猛抗議でもあった。仰木監督自身、近鉄監督時代の1989年、巨人との日本シリーズに3連勝の後に4連敗した苦い思い出もあった。そのすべてが、あの10分の間に集約されていたわけだ。

 藤井氏はその第5戦に「5番・右翼」でスタメン出場し、2打数2安打1四球。「(2回裏の第1打席に)斎藤雅樹からスリーベースを打ったのは記憶に残っていますね」と懐かしそうに話したが、実は、その三塁打はこのシリーズ初ヒットでもあった。第1戦は4打席目、第2戦は3打席目に代打を出され、第3戦は2打席で途中交代、第4戦はスタメン落ちし、試合出場もなかった。この裏にあったのがデータ、相性を重視した仰木マジックだ。

「その頃はもう、それがチームの勝利につながるならと割り切ってましたよ。最初の頃は悔しかったですけどね」と藤井氏は苦笑する。そして、当時を思い起こしながら「あの彼が、とは思いますよ。入団が同期なんでね。彼は高校からドラフト3位、僕は社会人からドラフト4位でしたけど……」とも。それはオリックスを日本一に導いた中嶋監督のこと。「現役時代はどっちかというとちゃらんぽらんな感じだったんですけどね」と言いつつ、驚かされた出来事も話し始めた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY