「なんか転校生みたいやな」巻き込まれた“合併騒動” 巡ってきたイチロー氏との3日間
球団合併で近鉄が消滅しオリックスバファローズに移籍
近鉄、オリックス、ヤクルトで20年間プレーし、通算1526安打を放ち今季限りで現役を引退した坂口智隆氏。プロ2年目で合併問題に巻き込まれ球団が消滅し、2005年からはオリックスで新たな野球人生をスタートすることになった。バファローズ魂を背負い“最後の近鉄戦士”と呼ばれた男の野球人生を振り返っていく、連載の第7回は「仰木監督の計らい、イチロー2世と呼ばれたプレッシャー」。
2004年オフ。ドラフト1位で指名してくれた近鉄が球界再編の中で消滅し、分配ドラフトで2チームが合併した「オリックス・バファローズ」に移籍が決まった。藤井寺から神戸の寮に引っ越しを済ませると、すぐさま本拠地のYahoo! BBスタジアム(現・ほっともっとフィールド神戸)で合同練習が行われることになった。
まだユニホームは完成しておらず、“近鉄組”は消滅した球団のユニホームを着用。ほんの数か月前までペナントを争っていたライバルチームの合同練習を、当時の報道陣は連日、面白おかしく書き立てた。「近鉄とオリックスはキャラが違うので、選手同士の話が噛み合わない」「近鉄組のロッカーだけは別々になっている」などと。
坂口氏は当時を振り返り「選手たちは全くそんなこと思ってなくて。色んな噂話が勝手にたくさん出て、逆に戸惑った。なんか転校生みたいやなと……。でも、時間が経てば普通のチームだったし、野球をやることは変わらない」と、両チームの選手に“壁”は無かったと断言する。
オリックスに移籍したことで、背番号は近鉄時代の「27」から「52」に変わった。右投げ左打ち、俊足強肩の外野手。球団、そしてファンからはレジェンドのイチロー氏が背負った「51」に1を足した番号を背負ったことで“イチロー2世”として期待を込められていた。