ノムさんから「何しとるんだ!」 “鈍感”なドラ1がクビを覚悟した指揮官のカミナリ

プロ1年目の南海・藤田学氏【写真:本人提供】
プロ1年目の南海・藤田学氏【写真:本人提供】

元南海・藤田学氏のプロ入り当時…水道水ガブ飲みに感激

 元南海投手の藤田学氏は、1973年のドラフト1位でプロ入りした。南宇和高(愛媛)時代に甲子園出場こそなかったものの、注目の右腕だった。球速よりも制球力。腕が遅れて出てきて、しかも球持ちがいい投球フォームで、打者のタイミングをずらすのが持ち味だった。自信もあった。「よくプロに入ったら『こんなにすごい世界だったのか?』っていう人が多いじゃないですか。その感覚はなかった。最初のキャンプ、ブルペンで投げて、これやったらいけるなと思った」という。

 愛媛県南宇和郡一本松町(現・愛南町)出身の藤田氏は契約のため、はじめて大阪・堺市の選手寮に行った時のことをよく覚えている。「まず準急に乗って、電車ってこんなに速いんだって思いました。それから3階建ての寮も見て、すごいなって思いました。当時の一本松は3階建てっていったら、役場か農協しかなかったんでね」。

 さらに感激したのは、練習中に水を自由に飲めることだった。「高校時代は練習中に水を飲んだら駄目だった。隠れて飲むのが見つかったら怒られた。それがプロでは堂々と水道の蛇口で飲めるから『ウワーっ、すごい』って思いましたね。アップが終わって着替える時とかにね。汗もかいているし、かなりの量を飲んでましたね」。粉末を水で溶く清涼飲料水もOK。「自分たちで作って、冷やして持って行って飲めたのもうれしかったですね」と懐かしそうに話した。

 そのように生活面では驚き、感動、感激することが多かったが、野球の技術面では驚きは少なかったという。「キャンプのブルペンで投げている他のピッチャーの人を見てたら、これなら俺でもいけるなって思ったんですよ」。だが、それは大きな間違いだった。「その当時のピッチャーってキャンプの中盤、後半から上げてくるんですよ。前半は全然、肩慣らしみたいなものだったのに、それを全く知らなかったから、これならって思ったんです。後になってこの人、こんなに球が速かったんだって。わかりましたけどね」。

1年目の春に肩を故障し投げられず…野村監督からの言葉に「クビになるのか」

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY