マウンドでもん絶も…「サイン、何やった?」 ミスに非情なノムさんの“鬼の形相”

南海で選手兼任監督を務めた野村克也氏【写真:共同通信社】
南海で選手兼任監督を務めた野村克也氏【写真:共同通信社】

若手だった藤田学氏と野村兼任監督「しょっちゅう怒られました」

 元南海投手・藤田学氏のプロ人生で欠かせない存在が、入団時からプロ4年目までの監督兼捕手だった野村克也氏だ。3年目の1976年に11勝3敗、防御率1.98でパ・リーグ新人王に輝いた裏にも“野村の教え”があったし、すべての基礎はそこにあったといっても過言ではない。だが、その分、厳しかった。「しょっちゅう怒られました。ぼそぼそと言われるんですが、そりゃあ、怖かったですよ」と当時を思い起こした。

 野村捕手兼監督のサインにうなずき、投球する。当たり前のことだが、1球、1球、嫌でも緊張感があった。「3連戦前には相手の特徴とか、長所とか短所とか徹底的に説明された。その上でコースを間違ったり、ボールにするところでストライクを取ったりすると、もちろん駄目ですからね」。ベンチに戻ってから説教されることも何度もあったという。

「インコースが打てないバッターに2球投げてストライクを取った後に、自分なりに考えて1球(インコースに)ボールを投げにいったら、デッドボールになったことがありました。そうしたら『なんで、あんなボール投げるんだ、打てないところは打てないんだから、あそこは(ストライク)3つでいいんだ』って怒られました」

 痛恨のサイン間違いをした時もあったと明かす。「ロッテ戦だったかな。カーブのサインだったのに、間違えて真っ直ぐを投げたら、ライナーを打たれて、自分の足首に打球が当たった。慌ててボールを取りにいこうとしたけど、もう動けなくて内野安打になったんです」。

どれほど厳しくても…あふれる感謝「野球に関しては恩師です」

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