2年連続で戦力外通告の右腕が“自らつづった”野球人生 「いちばんヘタ」な少年時代

オリックス、巨人でプレーした鈴木優氏【写真:本人提供】
オリックス、巨人でプレーした鈴木優氏【写真:本人提供】

オリックス、巨人に8年間在籍した鈴木優氏は引退決断、発信者へ

 プロ野球の8年間で通算1勝3敗1セーブ2ホールド、防御率7.91。オリックスと巨人に所属した鈴木優氏は、2年連続で戦力外通告を受けるという挫折を味わったのち、今オフ現役引退を選択した。そして早々に、次のステージへ歩み始めている。自身のYouTubeチャンネルを開設し、第1子誕生にも立ち会った。春には夢だったアメリカで、野球を多角的に学んでくる予定だ。

 そして、パーソル パ・リーグTVを運営するパ・リーグマーケティングと契約を結び、Webマガジン「パ・リーグインサイト」で記事の企画・執筆を担うことになった。

 そんな鈴木氏にこれまでの人生、それこそ初めてボールを握ったところから振り返ってもらったところ、いわゆる「野球エリート」ではない都会の少年がプロのマウンドに立ち、念願の勝利を挙げ、引退を決めるまでの四半世紀を、事細かに記録してくれた。全文をご覧いただきたい。今回は「スポーツ万能な少年が野球を選ぶまで」がテーマだ。

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 都立雪谷高出身ということで、東京都内の出身と思われがちだが、幼少期は愛知県名古屋市に住んでいた。父親がナゴヤドーム(現バンテリンドーム)での中日対巨人のチケットをもらってきたのが、初めてのプロ野球観戦だった。そして青色が好きだったという理由で中日を応援したら、その試合で中日が勝ったことも覚えている。

 それがすごく楽しく思えて翌日父親と近所の公園でキャッチボールをしてみたのが、初めてボールを握った思い出だ。小学3年生までは名古屋に住んでおり、ソフトボール、ドッチボール、テニス、サッカー、体操などたくさんのことを習ってきた。

 近くに野球チームはなかったため、この時はどれを集中的に習っていたというわけではなく、全てを楽しんでいた。そして小学4年生の時に東京都に引っ越した。その時、幸運にも行く予定の小学校に野球チームがあり、始業式の前に友達をつくれたらいいという親の思いから入団し、正式に野球を始めた。

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