来日当初はダメダメも…我慢強さで“確変” 元燕助っ人の運命変えた恩人の言葉

ヤクルトで選手・監督として活躍した古田敦也氏【写真:荒川祐史】
ヤクルトで選手・監督として活躍した古田敦也氏【写真:荒川祐史】

ガイエル氏は来日当初は不振も…古田敦也氏の言葉で徐々に日本野球に適応

 ヤクルトの駐米スカウトを務めるアーロン・ガイエル氏は、現役時代の2007年から5年間ヤクルトに在籍して通算441試合出場、90本塁打を放った。来日1年目には142試合で打率.245、35本塁打、79打点、出塁率.381と活躍。当時を振り返り、ターニングポイントとなったことや、日本でも思い出を語った。

 MLBで307試合出場の実績を引っさげ来日したが、当初は日本の野球に戸惑った。「具体的に言うのは難しいですが、最初は苦労してなかなかうまくいかなかった」と振り返る。そんなとき、手を差し伸べてくれた存在がいた。

「プレイングマネジャーだった古田(敦也)さんが忍耐強く使ってくれた。違う対応をされていたら今の自分はいないだろうし、我慢強くいてくれたことがそこを乗り越えられた要因。自分にとってターニングポイントですし、古田さんには凄く感謝していて、良い指導者に巡り合うことができたと思います」

 来日初年度から「5番・右翼」で開幕スタメンを掴むも、4月下旬までは打率1割台と低迷。それでも試合に出ることで徐々に日本の野球に対応した。シーズン後、古田氏から「俺はお前がやれるって信じていたから我慢強く使った。持っている力を見て、パフォーマンスが上がると信じていたから」と言われたことは今も忘れない。「お互い我慢強くやることができた。古田さんと一緒にプレーできたことは一番の思い出であり財産です」と目尻を下げた。

 5年間の日本生活で「文化も素晴らしいし、きれいだし、皆さん凄く親切」と日本を大好きになった。当時は小さかった子どもたちは19歳と17歳になったが「いまだに日本の文化を覚えていて、また来たいと言うんです」とうれしそうに話す。「誰もができる経験ではない。日本に来て良さを体験できたことは凄くいい思い出」と感謝した。

 2月は沖縄・浦添キャンプに帯同してチーム状況の把握や新外国人のケアに努める。臨時コーチを務める古田氏とも再会を果たし「色々な人に出会えて、球団に恵まれたから今がある」と優しい笑顔を見せたガイエル氏。大好きな日本とヤクルトのために、変わらぬ情熱を注いでいる。

(町田利衣 / Rie Machida)

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