“神奈川の名将”が北海道で奮闘 監督就任2年…加賀谷実氏が明かす現在地

紋別高で指揮を執る加賀谷実監督【写真:大利実】
紋別高で指揮を執る加賀谷実監督【写真:大利実】

加賀谷実氏は川崎北など神奈川公立高の監督を歴任…現在は紋別高で指揮を執る

 横浜、東海大相模を中心に、私学優勢の神奈川の高校野球。県立高校が甲子園の土を踏んだのは、1951年の希望ヶ丘が最後となる。県立にとっては厳しい環境の中、本気で甲子園を目指していたのが加賀谷実監督だった。

 日体大卒業後、初任の川崎北で河原純一(元巨人など)を擁して、1990年夏にベスト4に勝ち進むと、相模原総合、弥栄、厚木北と、赴任したすべての学校でベスト8以上に進出。私学と対等に戦える体と心を鍛え、粘り強いチームを作り上げた。

 2021年3月に定年を迎えると、次なるステージに選んだのは北海道の紋別高校。環境が変わっても、「甲子園」への想いは消えることなく、夢の実現に向けて、選手とともに戦っている。

 北海道北部に位置し、人口約2万2000人の紋別市。市内唯一の高校が、加賀谷監督が指揮を執る道立紋別高校である。

 東京在住の私からすると、果てしなく遠い場所にあるが、飛行機に乗ってしまえば実は近い。羽田空港からオホーツク紋別空港まで1時間45分、そこから車で15分もあれば学校に到着する。流氷ツアーで知られる「ガリンコ号」の発着場は、学校から車で数分の位置にある。

 訪れたのは1月下旬。当然のことながら、どこもかしこも雪景色。体育の授業でも使う、市営大山スキー場の積雪は約60センチとのこと。加賀谷監督は5時間目まで、スキーの授業を手伝い、15時前に山を下りてきた。

「こんな遠くまでありがとう。寒いでしょう!」と言いながら、がっちりと握手。加賀谷監督も私も横浜市出身で、紋別の地で握手を交わすのは何だか不思議な感じがした。
 
 取材当日は、学校から5キロほど離れた室内練習場で練習が組まれていた。もともと道都大の施設だったが、1996年に北広島市にキャンパスを移してからは、地元の野球チームが使用。加賀谷監督が赴任してから、紋別市の協力のもと、無償で使えるようになったという。

「面白そう!」と思えた新たなチャレンジ…この2年は北見地区大会敗退が続く

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY