トイレで密かに朝食…周囲にバレたら絶望 辞任を許されぬコーチの壮絶な日々

広島コーチを辞めていたら「今はなかった」

 シーズン中、地方でどしゃ降りになった時は練習場所を探す仕事もした。「ホテルのフロントで室内練習場がある学校を聞いて、ユニホーム姿で、挨拶に行って『貸していただけないでしょうか』ってね……」。広島がリーグ優勝を成し遂げた1991年、高代氏は三塁ベースコーチを務めていたが、シーズン途中に2軍に配置転換された。

 若かったこともあり、グラウンド内外でとにかく鍛えられたわけだが、つらくてたまらなかった。慰留されて踏みとどまったが「辞めさせてください」と指揮官に申し入れたこともあったそうだ。

「でも、あの時、やめて日本ハムに戻っていたら、今はなかったと思いますよ。自分の基本はカープですから。あのつらかった時代を思えば、他は楽でしたからね。当たり前だと思ってやっていることも、よそではよく動くと言ってもらったしね」と高代氏は話す。ただし、これだけは笑顔で強調した。「昔、自分がやっていたことを今のコーチ陣にやらせたら、みんな辞めるよ。絶対辞める。これ自信ある、ホンマに」。

 そんな広島時代、高代氏にとって大きな支えとなった恩人がいる。守備走塁コーチ、2軍監督を経て1994年シーズンから1軍を指揮した三村敏之氏だ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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