拒絶許されぬ絶対命令「『はい』しかない」 振り回され続けたルーキーイヤー

広島で選手、監督として活躍した佐々岡真司氏【写真:山口真司】
広島で選手、監督として活躍した佐々岡真司氏【写真:山口真司】

1990年のセ新人王は31セーブの中日・与田が輝いた

 佐々岡氏は「今の時代で、例えば森下がルーキーの時、6月に先発からリリーフにしていたら、えらい叩かれただろうね。でも、当時は別にそんなこともなかったね、どこをやってもね」と話す。しかも1年目の後半には「来年のために先発しとけ」と言われて、先発に再転向しただけに「1年目のピッチャーに、今していたら、大ごと。何を言われるかわからないよね」と繰り返した。

 今の投手にそれをやらせたら、壊れる危険性もあるが、それをこなしてきた身としては……。だって、1年目だけではなく、その後も役割がコロコロ変わりながら、結果を出していたのだから。それでも壊れなかった佐々岡氏は、やはりすごいとしか言いようがない。ちなみにルーキーの年はプロ初本塁打も記録している。8月14日の中日戦(広島)。郭源治からサヨナラホームランを放った。もちろん、この時のことも覚えている。

「3-1で勝ってて、長冨さんの後に僕が9回にいったんだけど、2点取られて追いつかれた。その裏の先頭打者が僕。普通代打でしょ。それが行けって言われて……。1、2、3で打ったらライトにホームラン。だけど、先輩の勝ちを消したことをすごく重く感じていたのでワイワイ言えんし、ガッツポーズもできなかった。淡々と走って、ホームに来たら、みんながワーッとなった。それでも喜べなかった」。そういう意味で印象深いプロ1号だったわけだ。

 しかし、1年目からフル回転の活躍をしても新人王は受賞できなかった。31セーブで最優秀救援投手のタイトルを獲得した中日のルーキー・与田に持っていかれた。正直、悔しかった。その気持ちを翌年1991年シーズンにぶつけた。「何かタイトルを取る」。そう誓って挑んだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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