17年前の絆が引き出したヌートバーの日本愛 “最後”の試合で伝えたかったこと

もう一度日本のファンの前でプレーすることを約束【写真:Getty Images】
もう一度日本のファンの前でプレーすることを約束【写真:Getty Images】

日本のファンに約束「次回のWBCでも東京での開催があればぜひやりたい」

 ヌートバーは笑顔で、そして迷わず「もちろん長くメジャーでのキャリアを積みたいと思っていますし、次回のWBCでも東京での開催があればぜひやりたいと思っています」ともう一度、日本のファンの前でプレーすることを約束した。選ばれるために練習を積み重ねていく。

 取材者の質問はどうしても“独りよがり”になることがある。自分の聞きたいことが必ずしもファンが求めていることや選手が話したいことと“イコール”なわけではない。ヌートバーの言葉、文字だけを読んでしまうと、伝わりにくいが、愛のあふれる言葉は人の心がわかる斎藤氏の“引き出し方”がうまかった。斎藤氏が聞いたヌートバーの思いだと知ると、また味わいを増すのではないだろうか。

 斎藤氏が早実時代に高校日本代表で米国遠征した際、日本のバットボーイをしていたのが8歳のヌートバー少年だった。時間が経ち、ヌートバーは日系選手として初めて侍ジャパンに選出され、斎藤氏はフロリダ州ジュピターのカージナルス施設で再会した。「マイ・アイドル」と大歓迎され、「こちらをどうぞ」と差し出されるなど、お互いがリスペクトし合っていた。

 最後に日本のファンへのメッセージを聞くと、即座にヌートバーは「『ニッポンダイスキ、ミンナアリガトウ!』と日本語で冗談ぽく、締めようとした。しかし、自ら『ノー、ノー、ノー、ノー』と終わりではないことを訴えて、気持ちを整理した。「家族のルーツである日本でプレーできて、心の底から感謝しています。本当にありがとうございました」と斎藤氏の目を真剣に見つめていた。

 東京プール最後の試合の、ヌートバーのコメントが掲載された記事を日本の多くのファンが目にしたと思う。温かさと愛情が伝わるコメントは斎藤氏が引き出していたものだった。インタビューを終えると、ヌートバーの方が冒頭のようにずっと斎藤氏へ感謝の言葉を伝えていた。2人の間には17年前からの深い絆がある。そんな空気感から生まれた言葉だった。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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