「歩けない状態」から僅か8日後にノーノー達成 大記録の裏にあった忘れられぬ体験

広島で投手として活躍し、監督も務めた佐々岡真司氏【写真:山口真司】
広島で投手として活躍し、監督も務めた佐々岡真司氏【写真:山口真司】

31歳シーズンに大不振…妻の勧めでトレーナーをつけて復活

 前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏の現役時代は1990年から2007年までの18年間。プロ入り当初から先発、抑えにフル回転しながら大きな怪我をすることなく走り抜けた。そんな野球人生にも転機はあった。「1998年のオフ。ここでトレーニングの見直しなどをしたから、後の9年間もできたし、大きかったと思う」。いろんな人に出会い、支えられたという。1999年5月8日の中日戦(広島)で達成したノーヒット・ノーランもそうだった。

 1998年の佐々岡氏の成績は5勝11敗6セーブだった。プロ9年目31歳のシーズン。年齢を重ね、少しずつ、自分の状態の変化を感じはじめていた。そのタイミングで優子夫人に「『何か変えた方がいいんじゃないの』って言われた」という。「嫁の知り合いのツテでトレーニングコーチをつけることになった」。サンフレッチェ広島でコンディショニングトレーナーを務めるなど実績ある西本直氏にパーソナルトレーナーをお願いし、それが功を奏した。

「体の作り方などをマンツーマンでやってもらった。ケアもしてもらった。あの出会いが大きかった」と佐々岡氏は感謝する。「もっとパワーでストレートで押して、もう一度そういうふうになるのか、それともスピードじゃないキレというところで体作りしていくのかの2択だった」。そして後者を選び、トレーニングに励んだ。「変な話、10の力じゃなくても8の力でも10以上の力を出せるようにね」。

 投球フォームも修正してもらった。「打者から見づらいフォームにするとかね。ゴムチューブをひきながらやりました」。それにより、肩、肘に負担がかからない投げ方にもなったという。「見づらくてタイミングがとりにくいと140キロ台でもバッターはそれ以上に感じる。今でも150キロを投げても、全然150キロに見えない感じのピッチャーっているじゃないですか。やっぱりフォーム的なものもあると思いますよ」。

1999年5月8日の中日戦でノーノー…8日前には左足を痛めて降板していた

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