苦しむ村上宗隆に「電話していた」 重責に寄り添った鈴木誠也の“見えない献身”

試合後のセレモニーで鈴木誠也の「51」のユニホームを持つ侍ジャパン・村上宗隆【写真:Getty Images】
試合後のセレモニーで鈴木誠也の「51」のユニホームを持つ侍ジャパン・村上宗隆【写真:Getty Images】

テレビで見届けた世界一「本当にみんなかっこいい」

 カブスの鈴木誠也外野手が22日(日本時間23日)、米アリゾナ州メサのキャンプ施設で取材に応じ、第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を制した侍ジャパンのメンバーに「感動しましたし、本当にみんなかっこいいなと思いました」と賛辞を贈った。

 自身は2月下旬に左脇腹を痛めて大会出場を無念の辞退。侍ジャパンの戦いぶりをテレビで見守り、「(出られなかったのは)悔しいのは悔しいですけど、自分のできることは応援しかないと思っていた」。優勝が決まった直後の歓喜の輪で、村上宗隆内野手(ヤクルト)が自身の「背番号51」のユニホームを掲げていたことに「うれしかった」と笑顔を見せた。

 今大会では、東京五輪でともに戦うなど親交のある後輩・村上が打撃不振に陥った。自身も4番として出場した東京五輪で思うような結果を残せなかった鈴木は、「気持ちはすごい分かります。話して笑顔にさせられたらいいなと思って、たまに電話とかもしてました」。準決勝で逆転サヨナラ打、決勝では同点本塁打と米国の地で復調した後輩の姿に「野球なので調子の浮き沈みというのはあると思うんですけど、最後にああやって打ってくれるというのが彼らしくて、さすがだなと思いました。僕ももっと見習わないと」と舌を巻いた。

 準決勝のメキシコ戦の前には、オープン戦で対戦したことのある相手先発サンドバルの情報を岡本和真内野手(巨人)らに共有。「参考になったかは分からないですけど、なんか力になれることがあればというのはずっとあった」。プレーはできなかったが、侍ジャパン一員としての思いは変わらなかった。

「WBCのことしか頭にない」と意気込んで2月に渡米したが、思わぬ怪我で離脱となった。「なんでこの時期にとは思いましたけど、何か意味があってこういうことが起きていると思う」。現在は順調にリハビリをこなし、キャッチボールやティー打撃を再開できる状態まで回復した。「今はすごくいい時間になってますし、これからシーズンがあるので、僕はしっかりそっちを頑張りたい」と先を見据えた。

(Full-Count編集部)

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