睡眠導入剤を服用、体重は8キロ減 孤独に輪をかけたコロナ禍…壮絶な3年間の監督生活
佐々岡カープは3年間で終焉…コロナの影響もあり孤独な戦いが続いた
子どもの頃から広島ファン、夢がかなってカープの一員となり、大黒柱として活躍し、指揮官も務めた。前広島監督で野球評論家の佐々岡真司氏は赤ヘル一筋の野球人生を突っ走ってきた。「好きな球団でずっとやれて、監督まで。幸せだった」。本拠地・マツダスタジアムで、ファンに辞任を報告した2022年10月2日の中日戦後。こらえていた涙がこぼれた。悔しい思いと寂しい思い、そして感謝の気持ちが交錯した。
ファンへの挨拶を終え、スタンドに手を振った。優子夫人や家族の姿があった。同級生も駆けつけてくれた。「見たら自分もちょっと涙が出るからってベンチ裏に下がったら、選手たちが呼びに来てくれて。『写真撮りますよ』って。それにも感動して……」。再びグラウンドに出た時には、もう涙をこらえられなかった。「選手をやめる時はまた次がって思ったけど、監督は終わったら、もうユニホームを着ることないのかなって思ったので……」。
コロナ禍とも闘う日々だった。選手とコミュニケーションが取りづらい環境だったのがつらかった。「円卓で食事ができないとか、全員が前向いてひとりの机で黙食でとか、部屋でひとり、コンビニで買ったものを食べたりとか……」。発散するものもなかった。なかなか眠れないため、毎日、睡眠導入剤に頼った。「酒を飲んでもやっぱり薬を飲んで寝るとかね、そんなきついものではないけどね。体重も8キロは落ちたかな」。
監督3年目は結果が出なければやめると決めていた。開幕6連勝のこれ以上ないスタートを切ったが、課題の交流戦で5勝13敗と大きく負け越した。「あそこを五分で乗り切れば何とかなると思ったんだけど」。思い返せば、やはり悔しい。やり残したことももちろんある。でも、結果がすべての世界だ。Bクラスが続いた以上、やはり監督の責任と自ら結論づけた。
先発、抑えにフル回転した現役時代。少々のことではへこたれない精神力は自然と身についた。「腰が悪くて、100球くらいになると、ロジンもしゃがんで、膝を曲げて取っていたけど、それでも投げていた。完投とかもしていたしね。今だったら、代えるか、たぶん1軍で投げてないね。トレーナーがすぐ止めるからね」。先発100勝100セーブの記録が物語るように、どんな状況も乗り切った実例が佐々岡氏でもあるわけだが、それが一切通じないのが現在だ。