試合では使えぬ「グチャグチャ」の帽子 「これを被れ」背筋凍った“鉄人”の驚愕努力

広島時代の金本知憲氏【写真:共同通信社】
広島時代の金本知憲氏【写真:共同通信社】

広島で台頭した頃、金本知憲氏の帽子は汗にまみれていたという

 元阪神監督の金本知憲氏は、1991年ドラフト4位で東北福祉大から広島に入団した。当初は体の線も細かったが、プロ入り後の努力でパワーもつけて長距離砲に成長した。打撃も守備も走塁も、とにかく一生懸命に練習。現在は大野寮(広島県廿日市市)の寮長で、当時はバッテリーコーチだった道原裕幸氏もそのひたむきな練習姿勢をよく覚えている。中でも忘れられないのが帽子の一件だという。

 金本氏は1年目の1992年は5試合出場にとどまり、翌1993年も42試合で4本塁打に終わった。それが3年目の1994年に17本塁打と飛躍。そこから階段を上がっていくように成績をアップさせていった。1992、1993年は2軍バッテリーコーチ、1994年からは1軍バッテリーコーチだった道原氏は、まさにその金本の成長曲線にずっと遭遇してきたひとりだ。

「どこかで試合がある時に、金本の帽子が汗でガッサガサ、グッチャグチャになっていた。試合前から汗びっしょりになるほど練習していたからだけど、いくら何でもその帽子はプロ野球ではちょっと、ひどいと思った。それで僕の帽子をやった。これをかぶれってね。コーチの帽子は試合の時、そんなに汚れないじゃないですか。ええ格好しての話ではないですよ。そんなになるくらい練習していて、こっちはすごいと思ったんですから」

 金本氏の練習はやらされているのではなく、自分で考えてのこと。「いい選手は個人練習をしますよ。みんなでやる以外に。ここでもやるのかって感じですよね」と道原氏はうなる。2000年には打率3割、30本塁打、30盗塁のトリプルスリーを達成し、阪神移籍後の2010年に連続試合フルイニング出場の世界記録を樹立した“鉄人”金本氏はすべてにおいてハンパではなかった。

広島・新井新監督は入団時、「パワーはすごかった」

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