深夜の記者会見で大谷翔平が見せた“素顔” 杉谷拳士への塩対応…WBCの「こぼれ話」

WBC優勝後の記者会見で眠そうに目をこする大谷翔平【写真:楢崎豊】
WBC優勝後の記者会見で眠そうに目をこする大谷翔平【写真:楢崎豊】

杉谷拳士さんが優勝会見で見せた“ぶっこみ”とその後…

 記者会見場で杉谷さんは私の目の前に座り、選手たちの到着を待った。そして、深夜2時すぎ。ようやく侍メンバーがやってきた。前述したが、大谷投手は少し眠たそうだ。栗山英樹監督やダルビッシュ投手は杉谷さんを見つけるとニヤリと笑い、歓迎しているようだった。

 テレビ局のアナウンサーによる代表質問が終わると個別質問へ。杉谷さんは挙手して、監督と大谷投手に質問をした。指揮官には「無職の杉谷拳士です」と挨拶し、決勝戦の投手起用のことを聞いた。大谷投手には「僕のことを覚えていますか?」と無茶振り。大谷投手の「まぁ……なんとなく」と返ってきた“塩対応”ぶりは、お茶の間を沸かせたのは記憶に新しいだろう。

 会見が終了し、退出する選手たちはみんな杉谷さんに笑顔や拍手を送っていた。杉谷さんは緊張から解放されたようだった。本来、質問者は座ったままでも良いのだが、杉谷さんは礼儀正しく、椅子から立ち上がり質問していた。もしかしたら、自分が立ったせいで選手を映すのに邪魔になったかもしれないと、「後ろに立っているカメラマンさんのことを考えずに立ってしまいましたね……カメラマンさん、すみません!」と謝っていたのも印象的だった。

 また、映像で見ればわかるが、「まぁ……なんとなく」と言った後、実は大谷投手は何か言葉を続けようとしていた。しかし、杉谷さんは「これを機に覚えてください」と結果的に遮るよう言ってしまったことを後悔していた。そんな姿にも一生懸命さがうかがえた。その後、ツイッターでは「無職の杉谷拳士」がトレンド入り。最後まで話題を振りまいていた。

 そして、Full-Count取材班がすべての取材を終えて、宿舎についたのは午前4時30分頃。そのあと執筆しながら、朝を迎えた。午前中の航空機を予約していたため、寝たら起きれないという恐怖感から、メンバーはみな睡眠をとらずに空港へ。こうして私たちのWBC取材は幕を閉じた。

 振り返ればキリがない。準々決勝のイタリア戦後にチームは米国へ移動したが、ダルビッシュ投手が選手間のグループLINEに時差ぼけ対策を記入してくれたため、選手はみんな到着後、元気いっぱいだった。栗山監督が「俺だけなんか眠い」と話していたエピソードも微笑ましかった。佐々木朗希投手はその機内でずっと寝ていたというある若手投手の目撃証言もあった。

 大谷投手はずっと岡本和真内野手(巨人)が取材でカメラの前に立つとちょっかいを出していた。その岡本は村上宗隆内野手らヤクルト勢に混ぜてもらって“チーム・ヤクルト”を結成して、一緒にマイアミでショッピングをしていた一幕もあったり、準決勝以降の対戦相手の情報を鈴木誠也外野手(カブス)から電話で連絡をもらい対策を練っていた。まさにチーム一丸でつかんだ優勝だった。

 感動の記憶が時間の経過とともに薄れていってしまうことが少し寂しい。素晴らしい戦い様も、チームの結束や楽しい思い出も、“侍たちのレガシー”として後世に伝えていくことは、取材に行った者の使命だと思っている。

○著者プロフィール
楢崎 豊(ならさき・ゆたか)
1980年3月、東京都生まれ。2002年報知新聞社入社。巨人、横浜の球団担当記者ほか、アマチュア野球、約3年間、ニューヨーク・ヤンキース中心のメジャーリーグを担当。雑誌「報知高校野球」や「月刊ジャイアンツ」の編集者を経て、2019年からFull-Countで執筆。現在は編集長。少年野球などの悩みを解決する野球育成サイト「First-Pitch」でもディレクションを行う。今回のWBCの思い出は、日本帰国時に必要だったPCR検査の陰性証明書に不備があり、搭乗目前で日本行きの飛行機に乗れず、途方に暮れたこと。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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