屋台で飲み、就寝直前に「明日行くぞ」 連投お構いなし…呆然とした“予期せぬ通告”

元中日・鈴木孝政氏【写真:山口真司】
元中日・鈴木孝政氏【写真:山口真司】

鈴木孝政氏は1982年日本シリーズで6戦中、4戦に登板した

 1982年、中日はセ・リーグを制覇し、日本シリーズでは広岡達朗監督率いる西武と激突した。その年のシーズン途中から、元中日投手の鈴木孝政氏(中日OB会長)は先発に転向したが、短期決戦ではまたまた先発、リリーフにフル回転。第1戦、第3戦、第5戦、第6戦に登板した。2勝2敗で迎えた敵地・西武球場での第5戦は先発したが、これは鈴木氏本人にとって完全想定外のことだったという。

 第1戦(10月23日、ナゴヤ球場)は3-6の4回から3番手で4回3安打無失点(3-7で敗戦)。第3戦(10月26日、西武球場)は0-2の2回途中から2番手で登板し、5回2/3を1失点(4-3で勝利)。いずれもリリーフながら、イニング数はそれなりにこなしていた。10月28日、西武球場での第5戦の先発は「それまでの試合で結構、投げていたし、絶対俺じゃないと思っていた」という。そう確信して前夜(27日)は宿舎近くの屋台で飲んでいたそうだ。

「ホテルに戻って、じゃあ寝るかって時に、ゴンゴンってドアを叩く音がした。誰だろうと思って開けたら(投手コーチの)権藤(博)さんだった。『明日、行くぞ』って」

 寝るちょっと前の時間での、まさかの先発通告だった。さすがに「えっ、俺?」と反応したそうだ。「『おう、お前、行くぞ、明日』と言われて『へー、そうですか、今まで決まらなかったんですか?』と聞いたら『決まらなかった』って」。もはや断れそうになく、腹をくくった。

第6戦は同点で救援…2被弾で敗戦投手になり日本一を逃した

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