手術に戦力外…野球が「苦しい」 西武・粟津凱士、再起の支えは“ロッカーでの時間”

西武・粟津凱士(写真は2020年)【写真:荒川祐史】西武・粟津凱士(写真は2020年)【写真:荒川祐史】

「潮崎2世」の期待も…21年4月に右肘トミー・ジョン手術→育成で再出発

 シンカーを武器に、かつて西武の黄金期を支えた潮崎哲也氏にちなんで「潮崎2世」の呼び声も高かった右腕が、復帰を目指している。東日本国際大から2018年ドラフト4位で西武に入団した粟津凱士投手。変化の異なる2種類のシンカーが武器だが、これまで1軍での登板はわずか1試合。2021年4月には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。その年のオフに戦力外通告を受け、育成選手として再契約。背番号「112」から、支配下登録を目指している。

 山形・山本学園高時代にも、2年秋に右肘の靭帯を痛めた経験がある。卒業まで投げることができず、野球を辞めて地元で就職をしようと考えたこともあったが、進学した東日本国際大ではリーグ通算14勝4敗の好成績を残した。

「大学で投げられるようになりましたが、リーグ戦で週末しか試合がない。先発だったら週に1回投げればいいので、無理をしても休養が取れますが、プロは毎日試合がある。そこで肘にストレスがかかっていたのかもしれません」

 再生療法の一種で、自らの血液から抽出した多血小板血漿(たけっしょうばんけっしょう)を注射するPRP療法で経過を見ていたが、痛みが取れずトミー・ジョン手術の決断をした。術後は雨が降ると痛みが出て、天候や気候によって投げられない日もあった。そんな状況に「もう野球をやりたくない」という気持ちになったこともある。

「他の選手が試合に出て活躍しているのを見て『自分は何をしてるのかな』と思いました。投げられるようになっても、以前よりレベルアップして戻らなきゃいけない。その重圧と不安から、野球が嫌になることもありました。でも、手術を許してくれた球団に恩返しがしたいので、そこはぐっとこらえました」

西武・粟津凱士【写真:篠崎有理枝】西武・粟津凱士【写真:篠崎有理枝】

支えになった同僚…ロッカーでのたわいもない会話で気持ちが楽に

 折れそうな心を支えたのは、チームメートの存在だった。ロッカーでたわいもない話をしているときは、怪我のことを忘れられた。お互いにライバルではあるが、声をかけて寄り添ってくれているのを感じた。そんな仲間の気持ちにも応えたいと、懸命にリハビリに励んだ。

「日によってムラがあり、投げられたり、投げられなかったり、その繰り返しでした。しっかり投げられるようになるのには1年かかりました。長かったです。調子がいいと、もっと投げたいと思いますが、そこは無理をしすぎないようにしていました」

 それでも、焦る気持ちもあった。自身に続いて、2021年には齊藤大将投手、伊藤翔投手、上間永遠投手がトミー・ジョン手術を受けたが、自分が一番先に回復していなければいけないと、常に追われているように感じた。そんな時は、トレーナーと話をしながら、自分のペースでリハビリを進めることを心掛けた。

目指す支配下「苦しさの中にある楽しさを見つけながらやってきた」

 2022年に実戦に復帰し、2軍で10試合に登板。手術から2年が経った今は「結果を出さなければいけない」と、自分にプレッシャーをかけながらマウンドに上がっている。

「野球が仕事になっているので、結果を求められる。『楽しいか?』と聞かれたら苦しいです。でも、誰もが経験できる場所じゃないということは、入団してからしみじみ思います。今までも、苦しさの中にある楽しさを見つけながらやってきた。1軍で活躍できたら、もっと野球を楽しめると思う。まずは投げた試合で結果を出して、支配下になること。そして1軍で活躍することを目標にしています」

 術後、投球を再開できたときは、野球の楽しさを改めて感じたという。苦しいリハビリを経たからこそ得られる喜びを求めて、5年目の右腕は1軍のマウンドを目指している。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

RECOMMEND

CATEGORY