会話は挨拶だけ…コーチから“無視”された打者 今になって理解できる「真意」

6年目開幕直前に得た「今までにない感覚」

「長内さんには遅くまで残ってもらってティーをやったり、いろんなヒントをいただいた。安仁屋さんにも2軍で使っていただきました」。そして、6年目の開幕直前の練習中に「あっ、これだ!」と思うものをつかんだという。「フリーバッティングしていて、ポンと打ったら、今までにない感覚があったんです。突然ですよ。ヘッドを立ててボールに強く当てる。それができた感覚でした」。

 この日を境に浅井氏は変わった。「そうか、これかと試していって、ゲームでもやってみたら、結果も出た。自信になったし、楽しくなりました。2年目に黒潮リーグで7本塁打を打った時もそんな感覚はなかったんですよ」。年数的にもラストチャンスのシーズンだったかもしれない。まさに、ギリギリのところで光が差し込んできた。

 三村監督の1軍からも呼ばれて、一気に上昇気流に乗った。「7番・右翼」でスタメン起用された1995年7月1日の巨人戦(広島)では3打数2安打3打点。プロ初アーチを含む2本塁打の活躍だった。相手が右投手の時はスタメンで使ってもらえるようにもなった。

「僕は思いますよ。ようそこまで面倒みてもらえたなって。三村さんや内田さん、安仁屋さん、長内さん、皆さんに感謝ですよ」。浅井氏はしみじみと話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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