まさかの命令「クソ握りで投げろ」 コーチの慧眼…謎の超魔球“バターボール”の正体

日テレ系の朝の情報番組「ズームイン!!朝!」で「バターボール」と呼ばれた

「最初は空振りが取れなかった。“クソ握り”だから、タイミングがずれて、前でコンとやるわけ。それで、だんだん(ボールの位置を)下げていった。もう指先にかからない完璧に手の平だけで投げられるようになると、面白いように空振りを取れるようになったんです」。その勢いで2軍の開幕投手の座を津田恒実投手、白武佳久投手、金石昭人投手と争った。だが、開幕前に足を負傷して、脱落してしまった。

「2軍で監督、コーチも含めてのバーベキューパーティーがあったんだけど、靴下も履かず、雪駄で行ったんです。靴で行かないといけないのにね。そこが僕の駄目なところ。足をガラスで切ってしまった」。軽傷ですぐに復帰したが、1軍昇格は5月までずれ込んだ。「安仁屋さんに『覚えてきたらしいな』って言われましたけどね」。

 1985年5月6日の大洋戦(広島市民球場)に先発して、プロ初完投勝利をマークした。達川光男捕手には「ひとつの球種を覚えたら、これだけ違うんだな。勉強になったわ」と声をかけられたという。そこから大活躍。この年、先発、中継ぎ、抑えと何でもこなし、45試合に登板して、11勝7敗7セーブ、防御率2.72の成績を残して、新人王となったのだ。

 躍進のきっかけとなった新球を「バターボール」と名付けたのは広島テレビ(日本テレビ系列)の脇田義信アナウンサー。「後楽園球場での巨人戦に投げた翌日(日本テレビ系の朝の情報番組)ズームイン!!朝!で『昨日の川端は面白いボールを投げてましたね』って話題になった。その時、脇田さんが『あれはパームボールみたいなものですけど、私は川端のバタをとって“バターボール”と呼んでいるんです』って言ってくれたんですよ」。

 川端氏の活躍とともに「バターボール」も知られていった。「最初は恥ずかしかったけど、あれで、いろんな人に覚えてもらいましたからね。今回の選挙も広島の川端といったって、たぶん印象がなかったと思う。脇田さんが名付けてくれたんで、『あっ、バターボール投げてましたね』って言われた。脇田さんのおかげですよ」。脇田氏は2005年に60歳の若さで亡くなったが、川端氏にとって忘れられない人。とても感謝している。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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