中日&広島からの誘いを両親が“拒否” 5年後に事実知るも納得「多分行かなかった」

鳴門高から法大へ…広島など2球団から誘いも本人の耳には入らなかった

「東芝の時、練習試合かなんかのトイレでね、(広島スカウトの)木庭(教)さんだったと思うけど『高校の時、ウチは君を獲りに行っていたんだよ、ドラフトの下の方でね。監督さんにも話したけど、ご両親に断られたよ』って言われたんです。えーっ、そうなんですかって言いましたよ」。その後に中日のことも分かったという。高校卒業後、大学4年間をも通り過ぎて、初めて知った事実。当時はすでに法大進学を決めていたこともあってか、両親だけで判断されたわけだ。

 もっとも、川端氏はこの両親の考えにも納得だったという。「もしあの時、ドラフトで指名されたら迷ったとは思うけど多分行かなかったじゃないかなと思います。僕は小心者だったんでね。今でも石橋を叩いて歩く方で、あの頃の僕もきっと……」。そもそも、その時点ではプロを全く意識していなかった。「野球のおかげで、いい大学に入れたらいいな、いい就職ができたらいいなってしか思ってませんでしたからね」。

 一人っ子の川端氏は当初、徳島から近い関西地区の大学進学を希望していたが「親父(治さん)がせっかくだから離れろって。近くだったら絶対やめて帰ってくるだろうからってね。修業しろって感じで東京に行かされたんです」。甲子園に行けなかったことは悔しくても、高校卒業時にプロに行かなかったこと、誘われたことさえ知らなかったことは何とも思っていない。実際、川端氏がプロ野球入りを真剣に考えはじめたのは東芝入り後のことだった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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