図書館で知ったドラフト指名 戦力外後は大学院へ…“投げる化学者”が送る異色の人生

現役引退後は球団職員を経て関学大の大学院へ…有機化学を学んだ

 だが、3年目の2008年に右肘痛に悩まされオフに手術を行うと「スライダーの感覚が分からなくなった」。本来の投球スタイルを見失い、その後は1軍登板がなく2009年に戦力外通告を受けた。2010年に2軍用具担当補佐を務めたが1年で退団。当初は球団スコアラーの道を目指していたものの、当時は打撃投手も兼務しなければいけなかった。

「一度経験させてもらったのですが、僕はきれいな真っ直ぐが投げられず、打者のバットを何度も折ってしまった。制球が安定せず、死球も当ててしまって……。気持ちよく打たせるのが仕事なのに、それができない。自分でも厳しいなと。もう一つの夢だった化学の仕事を選択しました」

 山本さんはプロ入りする際に基準を定めていた。「4年以内にクビになったら化学の道に戻る」。1年間は用具担当補佐を務めたが「燃え尽き症候群になって全く勉強が出来なかった。そのため1年間球団に残り、野球界に残るか、化学の道に戻るか考えようと思った」と口にする。

 その後は猛勉強。母校・関学大の理工学部大学院に入学し、興味を持っていた有機化学を学んだ。2年間で卒業すると、2013年に大手化学メーカー「クラレ」に就職。研究職、技術営業などを担当し、シンガポールに配属されたことも。現在は地元の兵庫・西宮に戻り、繊維資材事業部に所属している。

 現在の職場は今年で11年目を迎えた。7月で40歳になる山本さんは「今は繊維を扱っている部署なので、野球に関わることができないかなと考えています。ユニホームやグラブなど。還元はできないですが発信していきたい」。現役時代は“投げる化学者”と呼ばれた男は、引退後も化学者として新たな人生を歩んでいる。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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