初1軍で「大エース」に連れて行かれた銀座 「パワー」になった偉大な先輩の言葉

元オリックス監督の森脇浩司氏【写真:荒川祐史】
元オリックス監督の森脇浩司氏【写真:荒川祐史】

森脇浩司氏の実家は、大エース・鈴木啓示氏の家から近かったという

 偉大な先輩の存在がありがたかった。近鉄の大エースで通算317勝をあげた鈴木啓示氏と主力打者だった佐々木恭介氏。元オリックス監督で1978年ドラフト2位で近鉄に入団した森脇浩司氏は「お2人がおられることが私には心強かったんです」と明かす。偶然にも実家が近かったからだ。「(兵庫・西脇市の)私の家から鈴木さんのところには車で10分、15分くらい。佐々木さんは車で30分くらいの距離。そういったことも含めて近鉄にご縁があったのかと思いました」という。

 社高2年秋の県大会で、強肩内野手の森脇氏にまず興味を示したのは大洋と巨人だった。それ以外の球団のスカウトが集まってきたのは、その翌年から。近鉄もその中の1球団だった。「近鉄は(スカウトの)河西(俊雄)さんの印象が強かったです。どこの球団のスカウトの方も熱心でしたが、特に河西さんはそんな感じがしましたのでね」。でも、まさか、その近鉄に入団することになるとは思ってもいなかったそうだ。

 もともと、森脇氏はプロ野球に対して、特別な思い入れはなかった。「ひいきの球団もなかった」という。ただ、そんな中でも実家が近い距離にあった近鉄の鈴木氏と佐々木氏のことはよく知っていた。「鈴木さんは球界を代表するエースでしたし、佐々木さんは私のドラフトの年(1978年)に打率.354でパ・リーグの首位打者でしたからね」。近鉄入団を決めた時も2人の大先輩のことが頭にはあった。「心強いという言い方はおかしいのかもしれませんが、そういうふうに思っていましたね」。

 入寮前のオフの間に佐々木氏の家には挨拶にも出掛けたという。「私の親父の弟さんが佐々木さんの家の方と知り合いだったんです。その関係で、叔父さんの方から、近鉄に入るとなった時点で『1度挨拶に行って、お話を聞かせてもらったらどうか』と言われまして、佐々木さんが帰省された時に、そんな機会を作っていただいたんです」。

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