親元離れてプロの道へ 「涙が出てしまう」…小さな寮部屋で見つけた母からの手紙

感激した太田幸司投手との対面「テレビで見た人だ…」

 尊敬する両親だった。「父はずっと役所に勤めまして、長期にわたって助役をして引退した感じでした。母は高校の職員だったんですが、近くにいる人も、時々しか会わない人も含めて、おふくろの悪いことを言う人はひとりもいなかったというのも私の中には強く残っています」。

 プロ1年目、1月の合同自主トレから練習内容はハードだった。「当時は合同自主トレの方がキャンプよりもきついと言われていましたからね。今と違って走ることがすごく多かった。午前中、1時間半から2時間弱くらいはランニング、ランニングの時代。まだ高校生だった私にとっては本当にきつかったですよ」。

 1969年の夏の甲子園決勝・松山商戦での延長18回0-0の大激闘で知られ、その年のドラフト1位で近鉄入りした三沢高出身の太田幸司投手を初めて見た時は感激した。「あの甲子園で投げておられる姿を、当時は白黒テレビでしたが、私は海の家で見ていました。そんな方が目の前にいたんですからね。ああ、あのテレビで見た人だってね……」。プロ野球の世界では最初からいろんなことがあった。そして、年月が経つにつれて、苦しいことも、楽しいことも……。その都度、母からの“教え”が身にしみた。

 2022年10月15日、母・かめのさんは、帰らぬ人になった。「その日は母の88歳の誕生日。その日に亡くなったんです」。2023年4月19日には父・勝さんも旅立った。「親父は95歳でした。これで両親が……。やはり寂しいものですね」。森脇氏は近鉄、広島、南海・ダイエーの3球団を経験して1996年に現役を引退。その後は指導者として、多くの選手を育てたが、いつの時代にも両親の存在が大きなものだったのは言うまでもない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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