劣勢でも「ドラマが待ってるぞ!」 激戦区王者・慶応が甲子園で吹かせる“新しい風”

5年ぶり19度目の夏の甲子園出場を決めた慶応ナイン【写真:荒川祐史】
5年ぶり19度目の夏の甲子園出場を決めた慶応ナイン【写真:荒川祐史】

胸に優しく引き寄せ、頑張りを称えた指揮官

 7月7日に開幕した「第105回全国高等学校野球選手権記念神奈川大会」は、第1シードの慶応が、5年ぶり19度目の夏の甲子園出場を決めた。準決勝ではクリーンナップの3発で東海大相模に12-1の6回コールドで快勝すると、決勝では8回までリードされる苦しい展開も、9回に渡辺千之亮が劇的な逆転3ランを放ち、6-5で勝利した。

 一塁側応援席への挨拶を終えたあと、森林貴彦監督はキャプテンの大村昊澄に右手を差し出し、がっちりと握手を交わした。そのまま、胸に優しく引き寄せ、この1年間の頑張りを称えた。

 試合後の取材で大村について尋ねると、指揮官はこう即答した。「彼じゃなければ、優勝はできなかったでしょう」。最大級の賛辞と言えるだろう。

「チームをまとめて、引っ張ってくれて、僕よりもずっと、キャプテンがいい仕事をしてくれました。それが、あの行動に表れました。大村はどんなときでもチームのことを考え、そのうえで冷静に状況を考えながら、行動でも言葉でもチームを引っ張ってくれていました」

 新チーム当初から、指揮官は大村のことを「人間性キャプテン」と表現していた。率先垂範のリーダーシップを持ち、誰からも慕われる。チームメートの“大村評”を聞くと、その存在の大きさがよくわかる。

優勝を決め森林貴彦監督と抱き合う慶応・大村昊澄主将【写真:大利実】
優勝を決め森林貴彦監督と抱き合う慶応・大村昊澄主将【写真:大利実】

「いい顔をして、野球をやろう!」

 副主将の延末藍太が、「今年は大村のチーム。どんなときも一生懸命で、周りに気を配って、雰囲気が緩いときにはしっかり締めてくれる。大村のおかげで、ここまでいいチームになれました」と言えば、メンタルチーフを務める庭田芽青は、「めちゃくちゃすごい。日本一のキャプテンです」と絶大な信頼を寄せる。

「100人を超える組織をまとめるだけでも大変なのに、慶応義塾という“変なやつら”がいっぱいいる中で、まとめあげている。大村がいつも言っているのは、『当たり前のことをちゃんとやろう』。全力疾走、返事、整理整頓など、それを先頭に立って実践しているのが大村です」

 2年生の外野手・加藤右悟にとっては、憧れの存在になっている。「大村さんを日本一のキャプテンにしたい。本当に優しくて真面目で、それでいて言うことははっきり言う。僕だけでなく、ほかの人も同じことを思っていると思います。本当に尊敬しています」。

 同じ高校生の中で、ここまで慕われるキャプテンもそうはいないだろう。

 横浜にリードを許した終盤、笑顔を交えながら、ベンチで前向きな声をかけ続けていたのが大村だった。

「ドラマが待ってるぞ! いい顔してやろうよ。ここからチャレンジ!」

 8回の打席では、代打・清原勝児を送られ、ベンチに退いたが、「いい表情でやろう!」と仲間の背中を押し、逆転の雰囲気を作り出した。

野球の神様は“ドラマを作る機会”をくれる

「『ドラマが待ってるぞ!』は、その言葉通りの想いです。負けることは、1ミリも考えていませんでした。どこかで必ず逆転する機会が来ると、信じて戦っていました。ここまで、やることはしっかりやってきたので、野球の神様はそれを見てくれていると信じていました。絶対にドラマを作る機会を作ってくれる。それをモノにできるかどうかは、自分たちの気持ちの持ち方や表情次第。だからこそ、チームの雰囲気を明るくして、いい表情で野球をやることを意識していました」

「いい表情でやろう!」とは、今大会中、森林監督や大村から何度も聞かれた言葉である。

「野球の神様は、苦しそうにやっているところと、楽しそうにやっているところがあれば、楽しそうにやっているところに微笑んでくれると思っていました。それに、こんなに大観衆の前でプレーができる。最高に楽しい試合でした」

 9回表、渡辺千が逆転3ランを放ったときは、三塁コーチとして大きな声を張り上げていた。レフトスタンドに打球が飛び込んだのを見ると、何度も何度もガッツポーズを繰り返し、全身で喜びを表現した。

 9回裏、二死一塁の場面では伝令役としてマウンドに走り、「絶対に甲子園に行こう!」と仲間に想いを託した。写真を見返してみると、マウンドの中心にキャプテンが立っていた。延末が「大村のチーム」と表現するのも頷ける。

慶応・大村昊澄主将【写真:大利実】
慶応・大村昊澄主将【写真:大利実】

帽子のツバに記した『日本一の主将』

 大村は小学時代、中学時代(愛知港ボーイズ)、そして高校時代と、いずれもキャプテンを務めてきた。憧れるのは、大阪桐蔭、慶大でキャプテンを務めた福井章吾(トヨタ自動車)だ。

 勝つチームには必ず、人間的に優れたキャプテンがいる。大村はそれを信じ、ふさわしい人間になれるように取り組みを続けてきた。

『日本一の主将』

 昨秋の関東大会で専大松戸(千葉)に敗れたあと、帽子に書き記した言葉である。

「自分が日本一のキャプテンになれば、チームも日本一になれると思っています。野球選手としてだけでなく、人として、『こいつに付いていけば間違いない』と思われるようなキャプテンになれるかどうか。気持ちが前向きになる言葉をかけたり、姿勢や行動で手本を見せたり、誰よりも率先して動いたり……、こうした小さいことの積み重ねが、大きなことを成し遂げる近道だと思っています」

 ピンチの場面では、自らタイムを取って、マウンドに駆け寄るシーンが何度もあった。常に笑顔で、ピッチャーの表情を緩ませる。印象的だったのが、準々決勝(横浜創学館戦)の6回だ。このイニングから登板した2年生の鈴木佳門投手がコントロールに苦しむと、すかさずマウンドへ。そして、「ストライクが入りません……」と打ち明けられると、「(ストライクが)『入る、入る、入ると10回言え』」と、指折り数えさせた。

 今春の選抜に続く甲子園。目標は『KEIO日本一』、さらに、その先にある高校野球の未来にまで想いを込める。

「心から野球を楽しむ慶応義塾が日本一になることで、高校野球に新しい風を吹かせたいとずっと思っています。いい顔で、いい表情でプレーをして、『野球って面白いな、野球って素晴らしいな』ということを少しでも感じてもらえるようにやっていきたいです」

 激戦区・神奈川の代表として、日本一にチャレンジする。

(大利実 / Minoru Ohtoshi)

○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。

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