「このレベルが甲子園なのか」 虎の主砲が受けた衝撃…輝いていた同級生のスターたち

阪神・大山悠輔【写真:荒川祐史】
阪神・大山悠輔【写真:荒川祐史】

阪神・大山悠輔はつくば秀英で通算27発…3年夏は県大会初戦敗退

 負けたら終わりの一発勝負。今年も高校球児たちは憧れの地・甲子園を夢見て、白球を追っている。阪神で不動の4番を務める大山悠輔内野手も、高校時代に“聖地”を目指した一人だ。「夏のこの時期が近づくにつれ、あの頃の気持ちを忘れちゃいけないと毎日思います」と、当時を振り返る。

 大山は、つくば秀英(茨城)で1年春からレギュラーを掴み、1年秋から3番を任されるなど中心選手として活躍。高校通算27本塁打を記録し、投手兼内野手としてチームを引っ張ったが、3年夏は初戦で敗退している。県内の強豪校から誘いを受けたが「塚原さんの存在が一番でした。あの人がいなかったら(つくば秀英には)行っていなかった」と語る。

 地元で絶大な存在だったのが、元オリックスの塚原頌平氏。140キロ後半の剛球を投げ、打っても4番を務める2学年上のスターに憧れ同校の入学を決めた。寮では同部屋となり「色々なことを教わった」と感謝する。プロ入り確実とされていた右腕と共に過ごしたことで、練習に取り組む姿勢、意識などが一変したという。

「そこから全てが変わったというか、始まりですね。自分はプロ、プロと言っていたが正直、どんなものなのかレベルがわからなかった。塚原さんを見て、その大きさを感じましたし、そこを高校時代に知っていたからこそ良かった」

甲子園で躍動…同学年の藤浪や北條に受けた衝撃

 同学年には後に西武に入団する中塚駿太投手がいた。期待されていたが、高校時代の最高成績は2年夏の県8強で甲子園とは無縁だった。「甲子園もありましたが、プロに行きたい思いも強かった。でも、野球部を引退してからテレビで甲子園を見て、これじゃダメだと実感しました」。2012年夏の甲子園では、同級生で後にチームメートになる藤浪晋太郎(現オリオールズ、大阪桐蔭)、北條史也(光星学院=現八戸学院光星)が輝いていた。

「いざ自分が夏1回戦で負けて、テレビで甲子園を見ると藤浪、北條が出ていて。うらやましいというか、このレベルが甲子園なのかと。レベルが高いと思いましたね。甲子園、甲子園って言ってた割には(自分は)これだけしかやってなかったと思い知らされました」

 上には上がいることを痛感した大山はその後、白鴎大に進学。阪神からドラフト1位指名を受ける選手に成長した。プロに入った今では本拠地となった甲子園。照りつける日差しを受けながら「当時を思い出すこともあるが、負けたら終わりの中でやっている野球は凄いなと、改めて思う。それを見るたびに、あの頃の気持ちを忘れてはいけないと毎日思います」と初心に立ち返っていた。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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