エースが嘆き、球場「ガラガラなんです」 イケメン売り出し大逆転…戦力外からの火付け役

現在は広島の編成部編成課長を務める比嘉寿光氏【写真:山口真司】
現在は広島の編成部編成課長を務める比嘉寿光氏【写真:山口真司】

現役引退後に球団広報に転身した比嘉寿光氏

 カープ女子ブームの火付け役になった。広島東洋カープ編成部編成課長の比嘉寿光氏は早大からドラフト3位で入団し、プロ6年目の2009年シーズン限りで現役を引退、職員として球団に残り、広報になった。松田元オーナーの発案だった。「『ちょっとやってみい』と言われて『やります。頑張ります』。それから始まりました」。その後、女性ファン獲得に動き出したわけだが、きっかけは赤ヘルエース・前田健太投手(現ツインズ)の一言だったという。

 2009年10月9日に比嘉氏は戦力外通告を受けた。「1、2年前に言われてもおかしくないなって思っていたので、ああ、来たかって感じでしたね」。プロ5年目(2008年)のオフに右肘を手術して、コンディションが良くなり、2軍ながら成績もアップした。「6年目は僕の中では劇的にバッティングが変わった年だった。凡退した時の内容も自分で消化できたし、かみくだけるようになった。すごく楽しかったですよ」。でも現役は続けられなかった。

「与えられるチャンスが年々減っていましたからね。その中で2軍では結果を出しましたけど、1軍でバリバリやっている人と比べたらまだまだ足りないのもわかっていましたから」。トライアウトを受けても厳しいだろうと判断した。「僕の場合、社員として球団に残ってくれと言ってもらったんで、家族もそうだし、先輩の東出(輝裕)さんやスカウトの苑田(聡彦)さんとか、いろんな方に相談して、返事しました」。そうして社員になり、球団広報に就任した。

「ありがたいことに、最初に中国新聞とNHKで1週間ずつ研修をさせてもらった。経験させてもらって新聞記者の仕事の大変さもわかったし、テレビ番組ができるまでにはこういう作業がいるんだってことも知りました」。これも松田オーナーが手配してくれたという。「あの研修をやっていなかったら、言い方は悪いですけどマスコミの人を軽くみていたかもしれない。とても勉強になったし、濃い期間でした」。

女性ファン獲得のために“イケメン”たちを売り出す

 そうやってスタートした広報業務だったが、ある日の本拠地マツダスタジアムでの試合前、前田健太投手の言葉に比嘉氏は考えさせられたという。「よし、いくぞー、みたいな空気の時にマエケンがサロンに戻ってきて『比嘉さん、マジ、今日テンション上がらないっすよ。ガラガラなんですよ』と言ってきたんです。選手はやっぱりファンが見ていると気持ちが高ぶる。その環境をつくるのは、ある意味、球団の責任だなって勝手に僕は思ったんです」。

 それから、いろいろ策を練った。その流れで出てきたのが女性ファンを増やそうということだ。「これは、営業の努力もありますし、僕だけがやったわけではないんですけど、女性ファンはひとりではあまり球場に来ないんじゃないか、友達同士で来てくれるんじゃないかって思ったんです」。その上で比嘉氏は広報としてできることを考えた。

「今で言う、“誰々推し”っていうのをつくってくれれば、あの選手、かっこいいじゃんってなってくれれば、女性ファンが増えるんじゃないかと思って、女性が見るような雑誌とかに、どんどんウチの選手を出したりしました。当時、広島にはかっこいい選手がいっぱいいたんですよ。堂林(翔太)とかもそうですし、まだ2軍でくすぶっていた連中にもね。それが、まあまあウケた。赤のユニホームとマッチしてカープ女子というのがなんか出だしたんですよ」

 いつしか比嘉氏はカープ女子の火付け役と言われるようになった。「何を言っているのだろうって思いましたけど、ま、いいや、それにも乗っかろうって。どんどんファンが来てくれればもっといいなって。僕自身も楽しみながらやっていましたけど、一番は引き受けてくれる選手が楽しいと思えるようにやろうってことでしたね」。

 多くの選手に協力してもらった。「野村祐輔や田中(広輔)、菊池(涼介)あたりにも1、2年目から出てもらいました。若い時にね。今はみんなベテランで頑張っていますけど」。ほのぼの雰囲気の“カピバラ3兄弟”も話題になった。「今村(猛)、大瀬良(大地)、一岡(竜司)。あの辺はゆるキャラじゃないですけど、面白い感じで……」。発想、工夫、実践。カープ女子とともにカープ人気も高まった。広報時代の比嘉氏の功績はやはり大きかった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY