中日・大島に期待される“立浪超え” 34歳で復活した名球会員「あと500安打は可能」

中日・大島洋平【写真:小林靖】
中日・大島洋平【写真:小林靖】

中日・大島が26日のDeNA戦で史上55人目の通算2000安打を達成

 中日の大島洋平外野手が26日、本拠地で行われたDeNA戦で史上55人目の通算2000安打を達成した。大学、社会人経ての達成はプロ野球史上4人目の快挙。南海、近鉄でプレーし、大島と同じく左打ちの外野手として通算2038安打を放った野球解説者の新井宏昌氏は「まだまだこれから。立浪監督の記録(2480安打)を狙ってほしい」と賛辞を送った。

 大島はこの日、「2番・左翼」で出場。3回1死一塁で迎えた第2打席で中前打を放ち、節目の大記録を達成した。大学、社会人経てプロ入りした選手としては古田敦也、宮本慎也(ともにヤクルト)、和田一浩(中日)に次ぐ史上4人目。名球会入りの条件を満たした後輩に、新井氏は「そこまで大きな体(身長176センチ)ではなく、怪我なくここまでレギュラーとして活躍してきた。試合に出る大変さはやった人間しか分からない。本当に立派だと思います」と称賛した。

 新井氏が現役時代だった頃は主に年間130試合制。現在の143試合と違いはあるが「試合数が増えると必然的に打席数も多くなるので、ヒットは重ねやすい。ですがその分、疲労度や怪我のリスクは高くなる。長く試合に出続けるのは技術もそうですが、体の強さと気持ちの強さ。気力が大事」と力説する。

 大島は現在37歳。2000安打には長い月日が必要で、過去の達成者を見ても、同時に“引退”もチラついてくる。それでも新井氏は「大島は現在でもレギュラー格として出場している。多少の衰えはあるが、チームに貢献できる打撃と守備があればここから500安打を打つことも可能です」と語る。

新井宏昌氏は34歳シーズンで移籍…7年間プレーした

 新井氏は33歳シーズンの1985年オフ、出場機会が減少していた南海から自らトレードを志願し、近鉄に移籍。勝負をかけた移籍1年目の1986年に全130試合に出場し打率.288、翌1987年には184安打、打率.366で首位打者と最多安打(当時は連盟表彰なし)を獲得し完全復活を果たした。

「私の場合は打撃のスランプがあったが、近鉄で中西太さんに出会ったことでそれを解消してくれた。人生、何があるか分からない。南海での11年間より近鉄の7年間の方がアベレージは高かった。年齢が全てではないことは証明できた。年を取ったなりの打撃スタイルを見つけることができれば試合に出ることは可能です」

 新井氏は南海時代の11年間は打率.285(4094打数1165安打)、34歳から近鉄で過ごした7年間は打率.299(2917打数873安打)を残している。新井氏は「これからは立浪監督の2480安打を目指してほしい。超えるべき存在がいるのも頑張れる要素。高卒と大学社会人なら6年も違いますから、良い目標になるでしょう」とさらなる飛躍を期待していた。

(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)

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