高校野球は「ミスが出るのが当たり前」 日本一を実現させた慶応義塾ナインの“前向き”
仙台育英との甲子園決勝では4失策…それでも負けなかった
実に、107年ぶりに夏の全国高等学校野球選手権大会を制した慶応義塾。激戦の神奈川大会で東海大相模、横浜を連破した力を甲子園でも見せつけ、チームスローガンの『KEIO日本一』を見事に果たした。
とはいえ、すべての試合が盤石だったわけではない。守備のミス、走塁のミス、バントのミス、サインミスも出た。仙台育英との決勝では4失策。それでも、慶応義塾は負けなかった——。
日本一を果たしたあと、自校グラウンドで行われた合同取材。森林貴彦監督に、「優勝から学んだこと、得たことはありますか?」と尋ねると、こう答えた。
「ミスしても日本一になれるんだ、ということです。4エラーで優勝って、なかなかないですよね。あとは、走塁ミスも出たりして。それでも、『ミスが出ても勝つ』というのを目標にしていたので、うちらしい戦いだったと思います。高校野球は、『ひとつのミスが勝敗を分ける』とか『ミスが出たほうが負ける』と言われがちですが、みんながそう思ってやったら、ガチガチになってしまう。ミスをしていいわけではないですけど、『ある程度は出るよ。1個のミスでくよくよするな。前を向いて、切り替えてやろう』というスタンスで戦っていました」
高校野球において、ミスが出るのは当たり前のこと。ミスを引きずらないことが、大事になる。
県大会決勝で起きた大きなサインミス
大きな、大きなミスが出たのは、神奈川大会決勝の横浜戦だった。
2点ビハインドで迎えた7回表、無死から丸田湊斗がレフト前ヒットで出塁したあと、打席には2番の八木陽。1ボールから2球続けてバントをファウルにしたあと、スリーバントを試みるもキャッチャーフライ。さらに、丸田が盗塁のスタートを切っており、併殺となった。
一瞬、「バントエンドラン?」と思ったが、この場面で仕掛けるにはあまりにリスクが高い。おそらくはどちらかのサインミス。
後日、丸田に確認すると、送りバントのサインのところをエンドランと勘違いして、走ってしまったという。森林監督も、「あぁ、丸田が走っているなぁ……と思いながら見ていました」と苦笑い。もし、あのまま負けていたら、「あのミスが」と悔やまれる場面になったであろう。
それでも、この展開の中でも、ベンチはまったく沈んでいなかった。一塁側ベンチのすぐ横にあるカメラマン席にいると、エネルギーに溢れたパワーワードがいくつも聞こえてきた。
たとえば、7回裏の守り。横浜の緒方漣がスイング時に足を攣ったことで試合が中断し、守備陣がベンチに戻ってきた場面があった。キャプテンの大村昊澄は、仲間の顔を見渡しながら笑顔で言った。
「ドラマが待ってるぞ! いい顔してやろう!」
8回表の攻撃が始まるときには、森林監督が「日本一」を口にした。
「こういう試合を勝たないと、日本一はないからな。甲子園で優勝するために今日勝とう!」
最終回の攻撃前には、大村が締めた。
「いい顔して、ここからチャレンジ!」
大きなミスがあっても、気持ちが落ちている選手は誰もいなかった。
“いい顔”で目の前のプレーにチャレンジ
2点ビハインドで迎えた9回表、無死一、二塁のチャンスで、再び八木。今度はきっちりと送りバントを決めた。
「失敗したあとだったので不安もあったんですけど、バントは1年生のときからずっと練習してきたので自信がありました。1回失敗したので、『もう失敗しないだろう』と。それに状況を考えると、相手のほうがきつい。しっかりと転がせば、成功すると思っていました」
森林監督も、「うちでバントが一番うまい選手。連続で失敗することはないだろう」と、信頼してサインを出していた。
チャンスが拡大したあと、渡邉千之亮に起死回生の逆転3ランが飛び出し、劇的な勝利を収めた。言うまでもなく、日本一を獲るために大きなターニングポイントとなった。
キャプテンの大村は、横浜との戦いの中でチームの成長を感じたという。
「正直、外から見ている人は、八木がバントを失敗して、丸田が飛び出したところで、うちが負ける展開だと感じたと思います。でも、自分たちはまったくあきらめていなくて、『ここからだ!』と笑顔でいい表情で野球ができた。雰囲気や気持ちの持って行き方、向かっていく姿勢、どれかひとつでも欠けていたら勝てていなかったと思います」
劣勢だろうが、大量リードだろうが、いい表情で戦い、最高のプレーにチャレンジしていくのが慶応義塾のスタイル。特に今年は、「いい顔で野球をやろう!」が合言葉のようになっていた。
八木の復調を呼び込んだ指揮官の金言
甲子園で気になる選手がいた。神奈川大会で22打数10安打、打率.455、チームトップの5犠打をマークした2番・八木の調子が上がらない。
初戦となる北陸(福井)戦で、4打数無安打でスタメン唯一のノーヒットに終わると、続く広陵(広島)戦でも4打数無安打。初回、無死二塁の場面では送りバントを決められずにいた。
「もしかしたら、準々決勝では八木の打順を下げるのではないか」
そんな予感もあったが、森林監督は2番・八木を最後まで動かさなかった。
復調の兆しを見せたのは、準々決勝の沖縄尚学戦からだ。第1打席でセカンド前にボテボテの内野安打を放ち、「H」のランプで肩の荷が下りたのか、準々決勝以降の3試合で11打数7安打と当たりに当たった。
大会期間中に何があったのか。技術的な気付きか、あるいはメンタル面の変化か——。
「沖縄尚学戦の前に、甲子園球場のベンチ裏のトイレでたまたま森林さんに会ったんです。そのとき、『お前は必ずどっかでヒットが出る。たぶん、今日の2打席目ぐらいには出るから、思い切って振ってこい!』と声をかけてもらいました。その言葉で、ものすごく気が楽になって、迷いが消えました。ヒットが出ていなくても2番で使ってくれていたことも、大きな自信になりました」
大会が終盤に入るにつれて、ショートからのスローイングが乱れる場面が目立ったが、森林監督から何か言われることはなかったという。
「試合中のミスは気にしなくていい。反省はあとからすればいい。それが、森林さんの考えです。監督に叱られたり、チームメートを責めたりしても、いいプレーはできない。それは共通認識としてあるので、どんな状況でも前向きな声を出すようにしています」
野球を心の底から楽しめるかどうかは、自分たちの心の持ちようひとつで変わっていく。自らの表情や声かけで「エンジョイ・ベースボール」をやり抜いた慶応義塾が、世紀を超えて、夏の頂点に立った。
(大利実 / Minoru Ohtoshi)
○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。