19歳に飛んだ鉄拳「バシっときた」 怯える先輩投手たち…“恐怖”の中日ベンチ裏

中日で活躍した今中慎二氏【写真:山口真司】
中日で活躍した今中慎二氏【写真:山口真司】

今中慎二氏は2年目で10勝マークも…山あり谷ありの激動だった

 元中日左腕で野球評論家の今中慎二氏は高卒2年目の1990年シーズンで早くも10勝をマークした。1勝4敗に終わった1年目からの大躍進となったが「正直、2桁の価値がよくわからなかった。実感していなかった。周りは言うけどそんなにすごいのってくらいしか考えてなかった」という。振り返れば、2年目もいろんな出来事が起きていた。自主トレでの左肘故障から始まって、ついに食らった初鉄拳、さらには闘将の涙も……。

「やばいよ、これ」。今中氏のプロ2年目は不安とともにスタートした。「自主トレ中に朝からダンベルを担いだら肘がパチンと……」。思い浮かんだのは昨年の先輩たちの姿だ。「1年目の時、キャンプができなかったら罰金100万円で、近藤(真一)さんとか立浪(和義)さんとかがとられていたし、俺もとられるんじゃないかってね」。キャンプまでには何とかしなければいけない。しかし、状態が改善しないまま、キャンプ地・オーストラリアに向かうことになった。

 中日ナインはオーストラリア・ゴールドコーストに早めに入り、現地で合同自主トレを行い、そのままキャンプインするスケジュール。「その自主トレの時に、上の人から『若いの、早くブルペンに入れ』って言われた。それで投げたら5メートル……。無理、無理ってトレーナーに『どうしよう』って相談した。『監督に言うか』『いや、でも100万円とられるよね』ってね」。でも、故障がバレるのは時間の問題。もはや星野仙一監督に申告するしかないと覚悟を決めたという。

「監督に言ったら『とにかく走っとけ』と言われた」。意外にも激高はされなかったそうだ。「それでオーストラリアではずっと走っていました。キャンプ最終日に現地のチームとの練習試合に先発予定だったけど、その時も全然ボールを投げれずでした」。ところが、沖縄・石川での2次キャンプでは投げられるようになった。オープン戦でも投げた。「何があったのってくらい普通に投げて、もう何ともなかった」。開幕2戦目の先発も決まった。

 いったいどういうことか。今中氏は「肘痛の原因はネズミ(遊離軟骨)だったんですよね。ちょこちょこ病院で検査を受けていたんですけど、何回か行ったら『もう大丈夫だね』って言われた。『ここにいたネズミが、こっちの大きい骨にくっついたって、もう動かないから大丈夫だ』って」と説明した。それ以来、現役時代で肘痛に悩まされたことはなかったそうだ。

 しかし、2年目は最初苦しんだ。開幕2戦目、4月8日の大洋戦(ナゴヤ球場)は6回2/3、4失点で降板。勝ち星をなかなかつかめなかった。4月15日の阪神戦(甲子園)は3失点で完投負け。先発もリリーフもこなしたが、4月は0勝2敗。5月も0勝0敗だった。その間、星野監督には「投げるたびに怒られた」という。「褒められたことはないから、ずっとそれが普通になっていましたけどね」と今中氏は苦笑する。

開幕から2か月間勝てず…初完投勝利に星野監督は下を向いたまま

 この年で思い出すのは先発した5月8日の阪神戦(浜松)。「3-1で勝っていて6回に四球を出してランナーを確か2人残して代わったんです。そして(2番手の)川畑(泰博)さんが打たれて同点になった。それで監督に火がついた。その回が終わってベンチ裏に行ったら、俺を待ち構えていて『勝ちたくないのか!』って叫んで、バシっときて、カンカンカンって。パッとブルペンの方を見たら先輩たちがのぞいているし……。あれが僕は初めてでした」。

 あの場面で四球を出したのが闘将の逆鱗に触れた。勝利投手の権利を持ったまま降板して、リリーフが打たれて白星をつかめなかったのだが、それよりも無駄な四球への猛省を求められた。ちなみに、その試合、今中氏が鉄拳を食らった直後の6回裏に打線が一挙7点。7回にも1点を追加し、11-3で中日が勝っている。

「(2001年に)俺が現役をやめた時、監督は『初めて殴ったのは浜松やな』って話していた。何で覚えているんだろう。スゲーなって思いました」と今中氏は言う。令和の今では通用しない話ではあることがわかっていても、そう思ってしまう。それが星野監督。それは関わった人しかわからないのかもしれないが……。

 今中氏が2年目シーズンの初勝利をマークしたのは6月2日の大洋戦(ナゴヤ球場)だった。開幕して2か月間、1勝もできなかったが、2軍に落ちることはなかった。怒られて、怒られて、それでも我慢して使ってくれたなか、その日の先発は、いよいよラストチャンスではないか、駄目なら今度こそ2軍ではないか、と目された試合でもあった。そこで今中氏は結果を出した。6回表、マイヤーにソロアーチを浴びただけのプロ初完投勝利だった。

「初めて監督と握手しました。監督は下を向いていて、声はかけられなかったですけどね」。この時、星野監督が顔を上げなかったのは、声をかけなかったのは泣いていたからだった。期待の2年目左腕が、やっとつかんだ白星、それもプロ初完投で。それこそ今中氏以上に闘将はうれしかった。それが涙につながった。「監督が泣いていたって周りは言っていましたね。俺はわからなかったけど」と今中氏はクールに振り返ったが、誰よりも指揮官の気持ちを感じ取ったことだろう。

 ここから今中氏は白星を重ねて、10勝をマークした。無我夢中、2桁の価値もわからないままに、19歳でその数字に到達した。早くもエースへの道が見え始めた2年目だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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