江川卓の入団に「ふざけるな!」 球団社長の“懇願”も総スカン…評価一変の仰天投球

元巨人・角盈男氏【写真:荒川祐史】
元巨人・角盈男氏【写真:荒川祐史】

1978年に新人王に輝いた角盈男氏…江川との交換相手になった可能性も

 1981年に20セーブを挙げて最優秀救援のタイトルに輝くなど、1980年代巨人の守護神として活躍した角盈男氏。球団史上最多タイの93セーブ、さらに日本ハム、ヤクルトも含め通算618試合に登板し、38勝99セーブをマークした。「変則左腕」のパイオニア的存在が、野球人生を振り返る。

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 1976年ドラフトで長嶋茂雄監督率いる巨人から指名を受け、1年後に入団。1978年に新人王を受賞した角氏。そこに日本全国を騒がせた「江川事件」が勃発する。もっとも身近にいた当事者として、どう感じていたのか。

 1979年1月31日。巨人のエース・小林繁は、宮崎キャンプに向かう羽田空港で巨人関係者によって引き止められた。当時の金子鋭コミッショナーの「強い要望」を受けて、阪神の1978年ドラフト1位・江川卓とのトレードとなったのだ。江川はそのドラフト前日の「空白の1日」に、巨人と電撃契約を結んでいた。

「4歳上の小林さんとは1年間同じユニホームを着ましたが、堀内恒夫さんと双璧のエースだったので、言葉さえ交わしたことがありませんでした。同じ鳥取県出身なのに、小林さんは洗練されて華やかで、芸能人っぽかったですね」

 しかし、角氏は衝撃の言葉を口にした。「何十年か後に聞いたんですが、阪神が要望した本当の交換要員は、自分と西本だったようです」。

 1978年、共に22歳だった角氏は60試合を投げ5勝7セーブ、西本聖は56試合で4勝。将来を嘱望される投手だった。一方、26歳の小林は、長嶋V2の1976年と1977年にいずれも18勝8敗(防御率2点台)だったが、チームが2位に終わった1978年は13勝12敗、防御率は4.10と甚しく落ち込んでいた。細身の体に負担がきている、という球団サイドの判断だったのかもしれない。

例えるなら角氏らは「ビアタンブラー」で江川は「大ジョッキ」

 トレードが決まると、当時の球団社長がナイン全員の前で訓示をした。「江川がエースになれるよう、みんなも協力してやってくれ」。

「何言ってんだよ、と最初はみんな嫌っていました。ドラフトのルールを根底からくつがえす行為だ。とんでもない、ふざけるな! って」。巨人投手陣からは非難ごうごう、総スカンだったという。

 しかし一緒に練習をして、たった2、3日で、見方は一変した。キャッチボールの球が素晴らしくホップする。遠投はミサイルのようにどこまでも伸びていく。

「例えるなら、僕たちは『ビアタンブラー』で、江川さんは『大ジョッキ』。僕たちはキャパ(キャパシティ)からあふれるぐらい努力しているんだけど、江川さんは8分目の力で、そんな球を投げるんです」

 入団の経緯は“スーパー・ヒール”だったが、本人の預かり知らぬ「大人の世界」に翻弄されただけのこと。実力はモノが違う。日本全国を騒がせて当然だ。人柄もいい。

 1歳下の、角氏、西本、定岡正二、藤城和明は作戦会議を開いた。「これから、江川さんをどうやって呼ぶ? う~ん……。『スグルちゃん』だな」。

 江川は実力と愛嬌で、周囲の雑音を文字通り「完封」してしまったのだ。

(石川大弥 / Hiroya Ishikawa)

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