「日本の球団からオファーがある」 動き出した時計…“最強助っ人”誕生の発端

元横浜のロバート・ローズ氏【写真:荒川祐史】
元横浜のロバート・ローズ氏【写真:荒川祐史】

バスは大きく揺れ、コースアウトし木々に衝突…大混乱の車内に怪我人続出

「つなぐ4番」として1998年に打率.325、19本塁打、96打点をマークし横浜(現DeNA)の日本一に貢献するなど、ベイスターズ史上最強助っ人として今でもファンから愛されるロバート・ローズ氏は、来季から九州独立リーグ「火の国サラマンダーズ」で監督を務める。来日したのは30年前の1993年で、1年目から94打点でタイトルを獲得するなど、8年間所属したNPBで数々の記録を残した。そんなローズ氏が今回、Full-Countのインタビューに応じ、当時を回顧。輝かしい伝説は米国での痛ましい交通事故が“発端”だったと明かした。

 1992年5月、カリフォルニア・エンゼルス(当時)に所属していたローズ氏は22日からのオリオールズ戦に向け、ニューヨークから次の遠征先となるボルチモアに移動するチームバスに乗っていた。高速道路を通行中、突然バスが大きく揺れた。「バスの運転手が居眠りをしてしまっていたのです。道から大きく外れ、木々に衝突したんです。もう少しで横転するところでした。バスは傷だらけになり、私もシートから投げ出されました」。

 車内は大混乱。多数の選手が怪我を負い、「私も頭を切って、左足首を負傷しました。気を失いそうになりました」。出血と痛みで意識が朦朧とするなかで、なんとか車外へ運び出された。「リー・スティーブンス(1994、1995年近鉄)が同じチームにいて、彼が僕をバスから引っ張り出すように、脱出するのを助けてくれました」と語る。バス2台が連なって移動しており、ローズ氏が乗車していたのは先頭車。2台目に乗っていた選手も事故現場に駆けつけ、選手を救出。その中には後にメジャー通算200勝を挙げるチャック・フィンリーもいたという。「選手同士で助け合ったんです」と振り返った。

今でもバスは苦手も…「あの事件がきっかけで日本に来ることになった」

 幸いにして足の怪我は捻挫で重症ではなく、当時25歳と若かったことから「選手生命が絶たれたと思ったことはありませんでした」。しかし、この事故以降、ローズ氏がメジャーに昇格することはなかった。この年はオリオールズの新本拠地カムデンヤードが開場。「プレーするのをとても楽しみにしていただけに、とても残念でした」。さらに事故前の最後のメジャーとなった5月19日のヤンキース戦では、2-3の8回1死一塁に代打で打席に登場し、左中間スタンドへ飛び込む逆転2ランを放った。「メジャーで最後の打席がヤンキースタジアムでのホームランだったんだよ」と少し誇らしげに語った。

「日本の球団からオファーがある」と連絡が入ったのは、その年の夏の終わり。「興味があります」と答えた瞬間から、止まっていた“時計”は再び動き出し、横浜(現DeNA)入団へつながった。「いろんなことは理由があって起こる。あの当時はメジャーに昇格したばかりだったし、つらい事件でした。でも、あの事故がきっかけとなって妻(ミッシェルさん)と一緒に日本に来ることになったので“いいこと”ではありました」。

 今でもバスに乗るのは好きではないという。日本の球団も交通手段にチームバスを利用する。「絶対に寝ないように目をバッチリと開けていましたよ」と笑う。ローズ氏と同年に横浜に入団したグレン・ブラッグス(前レッズ)もメジャーでの最終打席がホームランだった。ブラッグスは4年の在籍で打率.300、91本、260打点の成績を残した。「そんな2人が日本でチームメートになるのも珍しいですよね」とローズ氏。数々の運命に導かれるかのように最強助っ人は誕生した。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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