18歳の心えぐった過熱報道「人が嫌いになった」 入団拒否示唆…“不意打ちのドラ1”

元ロッテ、中日の大嶺祐太さん【写真:本人提供】
元ロッテ、中日の大嶺祐太さん【写真:本人提供】

ソフトバンクと相思相愛も…結果的にロッテに入団した大嶺祐太氏

 16年間のプロ野球生活にピリオドを打ってから、1年が経った。ロッテ、中日でプレーした元投手の大嶺祐太氏。人生の行く先を大きく決めたのが、2006年の高校生ドラフトだった。相思相愛とみられていたソフトバンクが1巡目指名するも、2球団競合で交渉権を得られず。ロッテ入団まで大きな話題を呼んだ。当時を振り返り「人が嫌いになりました」とつぶやく。

 沖縄・八重山商工高3年時に春夏連続で甲子園に出場。駒大苫小牧高の田中将大(現楽天)、早実高の斎藤佑樹(元日本ハム)の同世代で、将来性は高く評価されていた。ドラフトでは、予想外だったロッテが交渉権を獲得。ソフトバンクしか考えていなかった大嶺氏は、1年間の浪人を決めていた。

「授業中に友達から『ロッテおめでとう』とメールが届いたんです。『えっ、ロッテ?』と思いました。それが1件だけじゃなくて何通も届いていたんです。ロッテから指名するなんて聞いていなかったので『嘘だろ』って思って。授業が終わってから、校長先生が教室に来て『ロッテだよ』と。『やっぱりロッテか。どうしよう』と思いました」

 ロッテが嫌いだったわけではない。どんなチームなのか全く知らなかっただけだった。当時、石垣島で目にするニュースといえば、沖縄県出身で、ソフトバンクに所属していた新垣渚の活躍ぶり。郷土のスターを見て「かっこいいな」と憧れ、球団にも親近感を抱いていた。何より、ソフトバンクの担当スカウトがずっと見てくれていた。

 ドラフトで指名を受けた直後に校内で開かれた記者会見。当時の伊志嶺吉盛監督から「何もしゃべるな。何を書かれるかわからないから『ちょっと考えます』とだけ言うように」と言われた。伊志嶺監督は、会見で入団拒否を示唆した。

“悪役”に徹してくれた恩師に感謝「自分を守ってくれた」

「あの時はすごい叩かれようでした。監督が一番叩かれていた。会見で監督は強い口調でした。今思うと、わざと悪い態度をとって、批判が全て監督に向くようにして、自分を守ってくれたのかなと思います」

 メディアも連日大きく報道。教室で友達と雑談しながら頭を抱えている写真に文字を付け加えられ、それがスポーツ紙の1面を飾った。「希望した球団にしか行かないのか?」「ソフトバンクと契約をしていた訳でもないのに……」。投げかけられる数々の心ない言葉。「何を信じていいのか分からなくなりました」。18歳の青年は心に大きな傷を負った。

 最終的には、ロッテが提出した育成プランに目を通した伊志嶺監督が「ロッテに行こう」と決断。球団の2軍スタッフに九州出身者が多かったことも背中を押してくれた。ロッテでは通算129試合に登板し、29勝を挙げた。驚きしかなかったドラフト会議から17年が経った今「最善の選択だった」と胸を張って言える。

 プロ9年目の2015年にはキャリア最多の8勝を挙げたが、規定投球回に達したシーズンはない。「いつクビになってもおかしくない状況だったと思います。ロッテだから、15年もプレーさせてもらえた」と感謝が尽きない。

 出会いにも助けられた。「鳥越(裕介・元ロッテ2軍監督)さんは『ソフトバンクに入っていても、(2年後の2009年には)俺が2軍の監督をやっていた。どっちにしろお前と同じチームになっていた。お前とはそういう縁なんだから』と言ってくれた。実力じゃなく、いろいろな人に支えられた現役生活だったと思っています」と穏やかな表情を見せる。

 中日での1年間をへて、引退後は興味のあった飲食業に携わり、今年8月には東京・門前仲町に創作ダイニングの料理店をオープン。店にはロッテ時代の同僚たちも訪れる。かけがえのない温かい仲間に囲まれ、大嶺氏は第2の人生をスタートさせた。

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