山本由伸が“1年限定”の用具援助「大変やろ?」 育成から飛躍…茶野篤政の感謝

オリックス・山本由伸(左)と茶野篤政【写真:荒川祐史、小林靖】
オリックス・山本由伸(左)と茶野篤政【写真:荒川祐史、小林靖】

オリックス・茶野篤政に、ほぼ初対面の山本由伸から突然の質問

 困った時、助けてくれる仲間がいた。干天の慈雨とは、まさにこのことだった。オリックスの茶野篤政外野手は育成選手だった春先、山本由伸投手から“神対応”を受けた。四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスから2022年育成ドラフト4位でオリックスに入団。オープン戦期間中、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)を終え、チームに合流したばかりのエースから突然、声を掛けられた。

「用具、大変やろ……?」

 日本球界を代表する投手は、ほぼ初対面の育成選手に対して、バットやグラブ、スパイクなど、プロ生活を続けていく上で最も重要になる消耗品をどのように準備しているのかを尋ねてきた。当時、茶野の年俸は240万円(金額は推定)。寮生活のため「食住」に困っていないとはいえ、技術を高めるために不可欠な用具を十分に購入できる資金はなかった。

 いきなりの質問に緊張し、答えが出なかったが「1年間、どこのメーカーでもいいから、用具を注文していいよ」と耳を疑う言葉が飛んできた。一瞬、返事が遅れたが、ありがたい言葉に深く頷くしかなかった。練習をすればするほど必要になるバットや打撃手袋。特に高価なバットは年俸の低い選手にとって大きな負担となるだけに「めちゃくちゃ、ありがたかったです」と茶野は汗を拭う。

 支配下選手の契約金にあたる支度金を切り崩して、用具代金に充てようと考えていた矢先の出来事。偉大な先輩に迷惑を掛けることに戸惑いはあったものの“援助”をありがたく受けることにした。茶野は、オープン戦7試合で13打数6安打、打率.462の好成績を残し、自身の出場8試合目の試合前に支配下選手登録された。

 背番号は「033」から「61」に昇格。持ち味の積極的な打撃でつかんだ支配下選手登録は、バットが折れることを心配せずに練習や試合に臨める環境が整ったからだった。3月31日にベルーナドームで行われた西武との開幕戦では「8番・右翼」で育成出身選手として球界で初めてプロ1年目での開幕スタメン出場を成し遂げた。

期間を限定された「1年間」に詰まった愛情と厳しさ

 試合に出るだけでなく、プロ初打席初安打、初盗塁も記録。シーズン前半戦は切り込み隊長として、一時は打率首位に躍り出るなど、チームの3連覇に勢いをつける大活躍だった。育成選手だった茶野に声を掛けた山本は言う。

「僕はドラフト4位(指名)でしたが、スポーツメーカーの方から用具の提供を受けることができました。でも、新型コロナウイルス以降、業界も苦しいので今の選手は支援を受けることが難しいのが実情です。投手に比べ、野手はバットに大きな負担が掛かりますから」

 感謝の気持ちを忘れない茶野は「何の不自由もなく、シーズンを過ごすことができました」と頭を下げる。山本とは1つだけ「約束」をしていた。用具の支援を申し出る際、エースは“一言”付け加えた。「来年からは(スポーツメーカーから)用具を提供してもらえるように頑張れよ」。援助に甘えることなく努力を忘れない大切さと、期間を「1年間限定」とすることでプロ野球選手としての茶野のプライドを守る、優しくも厳しい言葉だった。

 茶野はシーズン後半戦に息切れしたものの、今季91試合に出場(打率.237、1本塁打)。温情に甘えることなく自らの地位を築き、来季はスポーツメーカーから用具提供を受けることになった。「少しは由伸さんに恩返しができたと思います。もっともっとできたという思いが強く、来季は1本でも多くヒットを打ちたいと思います」。さらなる飛躍を誓う目は、ギラついていた。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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