戦力外3度&トライアウト不合格5度 営業に転身も響く“幻聴”…プロ去った男の現実

ヤクルトに所属した上野啓輔氏【写真:町田利衣】
ヤクルトに所属した上野啓輔氏【写真:町田利衣】

2011年から2年間ヤクルトに在籍した上野啓輔さんは野球指導などを行う

 元ヤクルト投手の上野啓輔さんは現在、株式会社FROM BASE.の代表取締役として子どもたちに野球指導を行いながら、大正大のコーチやMLBパイレーツのゲストコーチ、カナダ独立リーグのスカウトなど精力的に活動している。異色の経歴を経て2010年育成ドラフト2位で入団も、支配下登録されることはなくわずか2年で終わったNPB生活。入団2か月で高いプロのレベルに現実を突きつけられ、引退後のサラリーマン期間も苦難の連続だった。

 やっとたどり着いたNPBだった。習志野高を卒業後に上武大に入学するも、2か月で中退。その後単身渡米し、独立リーグやレンジャーズ傘下マイナーでプレーして帰国すると、独立リーグの香川に入団。2年後の2010年ドラフトで育成2位で名前が呼ばれた。

 しかし、いきなり現実を突きつけられることになる。2月の春季キャンプは2軍スタートだったが、1軍と合同で練習する日があった。ブルペンでは2009年に16勝を挙げるなど3年連続2桁勝利中だった館山昌平、この年7勝を挙げてブレークすることになる増渕竜義、今もチーム支える石川雅規ら豪華投手陣が投球練習を行っていた。

「レベルが高すぎて、とんでもない世界に来ちゃったなって。自分が活躍できるイメージが正直湧かなかったんです。2軍で抑えるイメージは全然できましたけど、1軍ではもう厳しいなって1年目の早々に思いました」

 バリバリ投げる一流選手を見て、すぐにスタイルを変えた。193センチの長身を生かした最速152キロが持ち味だったが「引け目を感じたというか、マイナーチェンジしてしまったんです。速球派で入ったのに、コントロールを気にしたり変化球に頼ったり……それが良くなかったです。自分というものをもっと大事にしたかったですね」。長所を貫けず、自分を失ってしまった。

「後半戦は1試合も投げていないくらい」夏から悟っていた戦力外

 イースタン・リーグで1年目は5試合に登板して防御率9.00、2年目は7試合で防御率0.93も吉報は届かなかった。それどころか「ファームでもほぼ登板機会がない。後半戦は1試合も投げていないくらいですかね。ただただ練習して、体は元気。(戦力外は)そろそろだなって思っていました」。

 2011年オフに戦力外通告を受けると、すぐに台湾行きを決めた。テスト生として1か月滞在したが、背中の肉離れがあって引退。不動産会社に就職してサラリーマンになった。「最初は別世界にいるようで虚しい感じがありました」。不慣れなパソコン作業に、1日100件を超すような営業電話もした。野球一筋だった人生が28歳で急変。「鳴っていない会社携帯がずっと鳴っているような感じがしたこともありました。病んでいましたね」と当時を振り返るが、これが思い切って独立することにもつながった。

「野球に携わりたい」という思いを叶え、現在は子どもたちに野球の楽しさを伝えるなど幅広く活躍している。NPBで過ごしたのはたった2年だったが、その経験が今に活きている。「正直、印象的なこととかはないんです。でも本当に華やかな世界で、あの世界を見られてよかったし、いられてよかったと思います。自分が指導者になって、あの世界を見られていたことは大きいので」という、かけがえのない時間となった。

 実は米国、日本、台湾で戦力外を経験し、トライアウトは米国で3度、日本で1度、台湾で1度不合格を味わっている。37歳になった今は「カウントしてみたら、なかなか多いですね」と笑い話にできるが、多くの挫折を乗り越え、必死でもがき、成長を続けてきた。「ヤクルトでは自分を見失って自分を変えてしまいましたけど、信念を持って続けていればそれなりに形になるというのは強く思っています」と上野氏。激動だった“野球人生”も、信念を持って歩んできた先に光があった。

(町田利衣 / Rie Machida)

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