宮城大弥が流した涙の“真相”「投手としてはダメ」 コーチも目を疑った1球の失敗

オリックス・宮城大弥【写真:荒川祐史】
オリックス・宮城大弥【写真:荒川祐史】

オリックス・宮城大弥「投げミスは実力不足でした」

 時間が戻らないことは理解している。それでも、オリックスの宮後大弥投手は、悔やみきれない失投に溢れる涙を止めることができなかった。11月5日に京セラドームで行われた阪神との日本シリーズ第7戦。59年ぶりとなった日本シリーズでの関西ダービーは3勝3敗で“最終決戦”を迎えた。宮城は5回途中5安打5失点で降板し、敗戦投手に。阪神に38年ぶりの日本一を許してしまった。決戦に1-7で敗れた直後、グラウンドに整列してファンに挨拶をして引き揚げる選手らの中で、宮城は一塁ベンチ前で涙を流して敗戦の責任を一身に背負った。

 3回までは危なげない投球だった。初回は先頭打者の近本に打たれたヒット1本に抑える立ち上がりを見せた。ところが0-0の4回、森下のヒットと大山に死球を与えて迎えた1死一、二塁からノイジーに決勝3ランを許してしまった。「あの1本がなければ、という思いでした」。宮城は涙の理由を説明する。悔やみきれないのは、ボールカウントと痛打を浴びたボールの制球だったという。

 初球は145キロ、2球目も146キロの直球を決めて0-2と追い込んだ。3球目は外角低めへ136キロのフォークがボールになって1-2となり、4球目の内角低めへの124キロのチェンジアップを左翼席に運ばれた。見送ればボールだった可能性が高い難しい球。バッテリーを組んだ森友哉捕手は「失投ではありません」とかばったが「(捕手が)外角に構えていたのに、逆球になってしまいました。その時点で投手としてはダメなんで。投げミスは実力不足でした」と宮城は振り返る。

 失投に驚いたのは、厚澤和幸投手コーチだった。「宮城のチェンジアップが、あっち(右打者の内角)に入るのは珍しいんです。宮城の良いところは、右打者に対して失敗しても外のボール球になるから打たれないのです。内に入るのは珍しいことです」。目を疑う1球だったという。

エース“来季”に向け「さぼらずに(練習を)やり続けます」

 宮城は当時の心境を「終わってからしか思い浮かばなかったのですが、もっと工夫ができたのに……という思いがありました。あの時は自分の中で必死になっていたので、いっぱいいっぱいでした」と思い返す。3勝3敗の第7戦だったため、負けることのできないプレッシャーと、大山を2球で追い込みながら死球を与えてしまったことが力みを生み、ノイジーに対して手元が狂ったのだろう。「(2人とも)追い込んでいたので、間違いさえなければ3アウトだったのに、勝負を焦ってしまいました」と今も反省が口を突く。

 今季は10勝4敗を記録し、3年連続2桁勝利を挙げた。そんなプロ4年目を、宮城は「山あり谷ありでした」と例える。自身は開幕から4連勝。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)からチームに合流後のコンディション調整もクリアし、6月末までに6勝(2敗)と好スタートを切った。

 しかし、8月9日のロッテ戦で自身7勝目を挙げるまで約50日間も白星から見放された。9月中旬には発熱による体調不良で戦列を離れ、10月4日のロッテ戦で復帰したものの、クライマックスシリーズのファーストステージ前の投球練習ではマウンドで咳き込む場面も。「体調はすぐに戻ったのですが、運動量を上げると咳が出て、心拍数が上がったりむせたり。投げる度に咳が出て集中することもできませんでした。あんなに長く続いたのは初めて。早く治ってくれと祈っていました」と言うほど苦しめられた。

 ただ、成長した部分もあった。昨年までは調子の悪かった試合の映像などを見なかったが、今季は弱い自分と向き合うようになった。「失敗をしたら落ち込んでしまい、気持ちの切り替えに2、3日かかってしまう性格なので、嫌な試合は見ませんでした。でも、素晴らしい投手の方はどの試合も見ていると聞きました。もう少し自分のことを分かって成長したいと思いました」。今季16勝の山本由伸投手、11勝の山崎福也投手がチームを去る来季は、22歳左腕にかかる期待はさらに高まる。

「さぼらずに(練習を)やり続けます」

 失敗と真摯に向き合い、1球1球に魂を込める。

○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。

(北野正樹 / Masaki Kitano)

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