実家に記者、疲弊した母の姿は「きつかった」 “世紀の落球”でどん底…救った妻の一言

落球時の瞬間を再現するG.G.佐藤氏【写真:湯浅大】
落球時の瞬間を再現するG.G.佐藤氏【写真:湯浅大】

北京五輪に追加招集で初の日本代表入りも、ミス繰り返し「もうボール飛んでくるな」

 西武やロッテなどで活躍したG.G.佐藤氏(本名・佐藤隆彦)は追加招集されて臨んだ北京五輪で、「世紀の落球」など痛恨の失策を繰り返した。Full-Countのインタビューで、当時の心境や大バッシングを受ける中、人生のどん底にいた同氏を救った妻の一言などを明かした。

 入団4年目の2007年に活躍し、2008年も打撃の勢いが止まらなかったことで、日本代表に初招集された。意気揚々と合流したが、慣れ親しんだ右翼には稲葉篤紀(日本ハム)がいたため、任されたポジションは左翼。「ほとんどやったことがなかった。見える角度がまるで違うし、すごく不安でした。ただでさえ緊張する大会だったので」。

 不安はすぐに現実となる。出発前の壮行試合で左打者のレフト前への平凡な当たりをトンネルした。違和感を拭えずに迎えた本番。“悲劇”は準決勝の韓国戦で起きた。2-0の4回に左打者の左前打を佐藤氏は後逸した。「壮行試合と同じような打球。俺は何であんなゴロを捕れないんだと、自分を疑ってしまった。『もうボール飛んでくるな』と本気で心の底から思いました」。

 これを機に1点差とされ7回に同点。8回には2-4とされ、さらに2死一塁から左中間への飛球を、佐藤氏がまさかの落球でダメ押し点を奪われた。試合は2-6で敗れ、星野仙一監督が掲げた金メダルへの道は絶たれた。

「あの当たり、心の中で『(中堅の)青木ー!』って叫んでいたからね。でも打球を追っていくうちに俺じゃん、と。落としてひざまづいている時に、青木の方をチラッと見ちゃっているからね。完全に俺の打球なのに」

落球後のひざまづく姿を再現するG.G.佐藤氏【写真:湯浅大】
落球後のひざまづく姿を再現するG.G.佐藤氏【写真:湯浅大】

「誹謗中傷はきつかったです」、エラーのEをもじって“E.E.佐藤”とも

 試合後のやり取りはほとんど記憶にないが、同学年の阿部慎之助(巨人)、森野将彦(中日)が夕食に誘ってくれた。「GGやっちゃったな」「でもお前のせいじゃないよ」「明日のアメリカ戦はゆっくり休んでおけ。お前のオリンピックは終わりだから」。あえて明るく、軽口で接してもらったことで救われた気がした。

 翌朝、ボードに貼られた米国との3位決定戦のスタメン表には「9番・左翼、G.G.佐藤」。目を疑った。「驚きました。昨日のスタメンの剥がし忘れかと思いました」。後日、星野監督が「GGの野球人生を終わらせたくない。チャンスを与えるんだ」と話していたと聞いた。「あの言葉は嬉しかったし、だからこそ気持ちに応えられなかったのは悔しかった」。

 もはや自分は使われないと思い込み、心も体も準備ができていなかった。4-1の3回に佐藤氏が平凡な飛球を落としたことから同点とされ、試合の流れを奪われると、5回に勝ち越され試合も4-8で敗戦。日本はメダルを獲得できず、佐藤氏は「アメリカ戦はやる前から完全に心が折れていた。今でも後悔している」と唇を噛んだ。後逸に始まり、2度にわたる痛恨の落球。「世紀の落球」としてバッシングを浴びた。

「誹謗中傷はきつかったですね。マスコミからも戦犯扱いされて。エラーのEをもじって“E.E.佐藤”とか言われた。特に実家まで記者が来ることもあり、母親がメンタル的に参ってしまっていた。俺はいいですよ。自分がやってしまったことだから。ただ、周りを悲しませてしまったことはつらかったです」

“傷だらけ”の佐藤氏を救ったのは妻の一言だった。帰国の途につく佐藤氏にあえて何の連絡もなく、自宅に帰ると真っ先に無言で抱きしめられた。そして「何があっても、あなたは私のヒーローだよ」。涙が溢れた。「泣きましたよ。どんなことがあっても妻のためにマジで頑張ろうと思いました」。

 新たな決意を胸に再スタートを誓い、帰国後の復帰初戦となった8月26日の楽天戦(西武ドーム)では、想像だにしていなかった光景が佐藤氏を待っていた。

【写真】まさかの落球に星野監督も唖然… 体育座りで反省するGG佐藤氏

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