同僚も戦力外を予感「あぁ…」 帰京命令で確信も即通告なし、“猶予期間”の苦悶

西武でプレーした戸川大輔氏【写真:荒川祐史】
西武でプレーした戸川大輔氏【写真:荒川祐史】

元西武の戸川大輔氏、ライオンズアカデミーで“子どもたちの憧れ”を目指す

 プロ野球人生の岐路は、さまざまな形で訪れる。2023年からライオンズベースボールアカデミーのコーチを務める元外野手の戸川大輔氏は、2022年限りで西武を戦力外となり現役を引退。通告を覚悟しながらも、なかなかその瞬間が訪れない“猶予期間”を味わったひとりだった。

 球団初となる高卒の育成選手として、北海道・北海高から2014年育成ドラフト1位で西武に入団。1年目の2015年オフに支配下登録を勝ち取った。5年目の2019年に1軍初出場を果たし、10試合に出場。だが、怪我の影響もあって出場機会を減らし、戦力外となった2022年は6試合の出場にとどまった。

 その年の秋季教育リーグ「みやざきフェニックス・リーグ」に参加中に、東京に戻るように伝えられた。2軍でも出場機会が減っていた現状に「そろそろかな」と感じていた。「周りも『あぁ……』っていう感じになっていました。みんなが練習してる中で、自分だけ帰るのは学校を早退して帰るみたいな、なんか不思議な気持ちでした」と振り返る。

 だが、すぐに球団からの呼び出しはなかった。

「『終わりだな』と思って帰ってきたのに、なかなか呼ばれず、秋季練習に参加していました。戦力外が熊代(聖人)さん(現2軍外野守備走塁コーチ)しか出ていなくて『絶対ここからまだ出るはずなんだけどなぁ』と思いながら、気持ちをどこに持っていったらいいかわからずやっていました。それが一番しんどかった。『ワンチャン、もう1年あるのかな』とも思いました」

 もう覚悟はできているのに、プロとして毎日練習に全力で臨む。コーチ陣も以前と変わらず熱心に指導してくれた。それがありがたく、余計につらかった。わずかな希望を捨てきれない中、10月下旬に開催されたドラフト会議で西武は1位で蛭間拓哉外野手、2位で古川雄大外野手を指名。「ドラフト1位、2位で外野手を獲ったら、すぐに電話がかかってきた。そういうものです(笑)」。そう笑って振り返るが、プロ野球界の激しい新陳代謝の瞬間だった。

戦力外に「まだやれる」との思いも…第2の人生へ背中押してくれた両親

 戦力外を通告された後は、わかっていたはずなのに「まだやれる」と、悔しい気持ちが込み上げてきた。そんな時、球団からアカデミーコーチの打診があった。背中を押してくれたのは、両親だった。

「『球団から一緒に仕事をしようと言われているなら、そっちでやりなさい。全員が出来る仕事じゃない。声をかけてくれた人ができる仕事だから』と言われました」。自身が小学生のころに北海道日本ハムファイターズジュニアでプレーした際、元プロのコーチはかっこよかった。今度は自身がアカデミーの子どもたちの憧れの存在になると決めた。

 北海道の実家は、競馬のG1で6勝を挙げたモーリスを世に送り出した「戸川牧場」だ。獲得賞金5億円を超える名馬と比較されることもあった。「G1を獲るのは家族の夢でしたから、嫌な思いはしませんでした。むしろ『モーリスの戸川』って知ってもらえて嬉しかったです」と感謝する。

 子どものころ、そして現役時代は「怪我をしたら危ない」という理由で、牧場を手伝ったことがなかった。今はときどき実家に戻り、馬の世話をしている。「親父も『助かる』って言ってくれるんですよ」。過酷なプロの世界に8年間身を置いた27歳は、今は穏やかに第2の人生を楽しんでいる。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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