阪神ドラ1の重圧「毎日記事になる」 投げつけられた双眼鏡…強烈すぎた暗黒時代のヤジ

阪神などでプレーした藪恵壹氏【写真:町田利衣】
阪神などでプレーした藪恵壹氏【写真:町田利衣】

藪恵壹氏は1993年ドラフト1位で阪神入団、1年目に新人王に輝いた

 日米通算379試合に登板した藪恵壹氏は、逆指名により1993年ドラフト1位で阪神に入団した。新人だった1994年に9勝9敗、防御率3.18の成績を残して新人王に輝いたが、“阪神ドラ1”の重圧は人一倍感じていた。きついヤジや、双眼鏡を投げ込まれた過去もあった。

 東京経済大、朝日生命を経て念願のプロ入り。背番号はエースナンバーの「18」を与えられた。周囲の期待はもちろん、大きい。それは入団直後の1月に、すぐに実感することとなった。

「“阪神のドラ1”というだけで毎日記事になる。当時は甲子園から道一本隔てたところに虎風荘(選手寮)があって、常にファンが出待ちしている。多ければ20~30人はいて、歩けばついてくるので出歩くこともまずなかった。出待ちの人の顔も覚えましたよ(笑)。まあそれも仕方ないなと思ってやっていましたけど、最初の年のドラ1という重圧は、下手すればそれに耐えられなくて……という選手も中にはいるかもしれないですよね」

 コンビニに行った記憶も「ないです。あまり必要もなかったので」とキッパリ。球場と寮を往復する生活で「登板のない日に寮に帰ってきても隣(甲子園)でワーワー言っているから気が休まることがなくて……。7回くらいまで球場にいて、混む前に寮に帰ってきて寝るだけ。野球、野球、野球っていう生活で、1年目はあっという間でしたね」と回顧した。

入団してから2002年まで9年連続Bクラス、最下位6度の「暗黒時代」

 幸い結果を残していたため、遠征先で先輩に誘われて行く食事や買い物が息抜きの時間だった。1年目のオフ、結婚のため退寮。ちょうどその年、寮は鳴尾浜に移転した。

 当時の阪神は“暗黒時代”。藪氏が入団1年目だった1994年から2002年まで12年連続Bクラスで、6度の最下位を味わった。それだけに、熱心なファンからは強烈なヤジを浴びることも多かった。

「あの頃はヤクルトが強くて勝てなかった。暗黒時代と言われる90年代後半、特に神宮はファンが近いしひどかった。試合後は三塁側の通路を上がって引き揚げるんですけど、昔は屋根がなくて、水や酒が飛んでくるんです。『あれ、雨じゃないよな』って。負けたら必ずでしたね。双眼鏡が飛んできたこともあって、あれは危険でしたよ。当たらなくてよかった。ただ僕はあまり聞いていないというか、ファンと喧嘩するようなことはなかったです」

“不遇のとき”を乗り越えた阪神は、ついに2003年、星野仙一監督のもと18年ぶりの優勝を果たした。

(町田利衣 / Rie Machida)

JERAセ・リーグ

RECOMMEND

CATEGORY