「私の20歳の頃とはえらい違い」松井秀喜氏が評した逸材 “素直”な21歳に伝えたこと

巨人の臨時コーチを務めた松井秀喜氏(左)と打撃指導を受ける巨人・秋広優人【写真:小林靖】
巨人の臨時コーチを務めた松井秀喜氏(左)と打撃指導を受ける巨人・秋広優人【写真:小林靖】

締めに川相昌弘内野守備コーチの“オヤジギャグ”を希望

 巨人の宮崎キャンプで臨時コーチを務めた松井秀喜氏(ヤンキースGM付特別アドバイザー)は14日、5日間にわたった指導期間を終了した。49歳のゴジラが巨人とファンに残したものは何だったのだろうか。

 まず“ゴジラ効果”の1つは、本来の臨時コーチの役割とは異なるが、キャンプのムードを盛り上げ、ファンを喜ばせたことだろう。イベントスペースでのトークショー、能登半島地震被災者支援の募金活動に参加し、募金者1人1人とハイタッチを交わした。また、宿舎ホテルへ戻る際などにはファンから熱狂的にサインを求められ、時間が許す限り応じていた。

 そして最終日の14日には、サプライズなプレゼントを用意していた。自らバットを握り、佐藤豪貴打撃投手を相手にフリー打撃を披露。14スイング目に見事、飛球をポール際の右翼席中段へ運び、スタンドのファンはもちろん、打撃ケージを取り巻いていた首脳陣、選手、OBらから拍手喝采を浴びた。

 11日に開いた小学生向けの野球教室でフリー打撃を披露した際には、右から左への猛烈な逆風に阻まれ、24スイングして柵越えゼロ。「私はもう小学生向けだけですよ。プロ向けに見せられるバッティングはできません」と肩を落としていた。

 しかしこの日は、左から右へ緩やかな追い風が吹き、気温も20度近くまで上がる好天に恵まれ、本領発揮をアシストした格好。松井氏は「ファンサービスの一環としてやりました。決して選手に見せるためではありません」と謙遜した。プロの見本にはなれないと強調したかったのだろうが、球場全体が盛り上がり、笑顔に包まれたのは確かだ。

 自ら松井臨時コーチ招聘に動いた阿部慎之助監督は「松井さんが来てくれて、平日にもたくさんのファンが来てくれて、選手もやりがいがあったと思いますよ」と満足そうに頷いた。

 松井氏は球場をあとにする際、あいさつの最後に、気心の知れた川相昌弘内野守備コーチに「川相さんのオヤジギャグで締めてください」と水を向けた。川相コーチは「ヒデキ、感激!」と応じ、昭和時代のCMのキャッチフレーズを平成以降生まれの選手たちが理解できたかどうかはともかく、爆笑を誘ったのだった。

背番号55の後継者、秋広には「私が伝えたことにこだわる必要は全くない」

 一方、通常の1軍練習でも、2軍の練習を視察に行った際にも、松井氏のもとには選手たちが次から次へと足を運び、積極的にアドバイスを求めていた。阿部監督はここでも「僕が『聞かないと損だぞ』と言っておいたから。みんな、だいぶプラスになったのではないかと思います」としてやったりの表情を浮かべる。

 ただし、松井氏は「選手たちにはいろいろ伝えましたが、最後は自分でつくり、自分の思うようにやってほしい」と語った。自身が付けた背番号55の後継者である秋広優人内野手についても、「非常に真面目で、私が言ったことに忠実に取り組んでいて、その意欲だけでも素晴らしいと思いました」と評した上で、「最終的にどのように打つかは、彼の気持ちひとつです。彼が一番いい、これでいくんだと決めた形でいってもらえればいい。私が伝えたことにこだわる必要は全くない」と強調した。そして「私の20歳の頃とは、えらい違いだと思いました。私と違って素直です」とも付け加えた。

 松井氏がルーキー時代、OBから“すり足打法”を勧められながら、断固拒否したのは有名なエピソードだ。周囲のアドバイスはあくまでヒント、もしくは引き出しの1つに過ぎず、野球人生の責任を取れるのは自分自身だけだ。松井氏が「素直」な秋広に一番伝えたかったことは、それだったのかもしれない。

「今後また慎之助監督が呼んでくれると思うので、その時に来ます」と言い残し、宮崎を去った松井氏。ニューヨークに生活拠点を移しても、頭髪に白い部分が増えても、いまだ変わらず日本のスーパースターだ。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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