偶然写った“腫瘍”…医師から突然宣告 天才襲った危機「野球人生終わっていたかも」

西武などでプレーした石井義人氏【写真:湯浅大】
西武などでプレーした石井義人氏【写真:湯浅大】

西武や巨人で活躍…石井義人氏は浦和学院1年の春、公式戦初打席で本塁打

 西武や巨人で活躍した石井義人氏は現役時代、同僚から「天才」「テニスラケットで打っているよう」と称されるほどの卓越した打撃技術が持ち味だった。プロから注目されるようになった浦和学院高(埼玉)時代には甲子園に3度出場した。だが、1年冬に「野球人生が終わっていたかもしれない」と振り返る、大きな“事件”があったことを明かした。

 広角に打ち分けるバットコントロールは親子特訓の証だった。小学5年時から高校を卒業するまで「8年間ほぼ毎日、親父とティー打撃をやっていました。暑い日も寒い日も。高校野球の練習が終わってからもやっていました。試合で打てなかったらボコボコにされる。小さい時は泣きながらやった日もありました。今の時代じゃ考えられないですよね」。

 自宅や知人の建築会社の敷地を借りて練習。300球近く打ち続けた。小学生の頃から大人用の980グラムのバットを使用。大人でもしっかり振るのが困難な重さだけに「さすがにちゃんとは振れなかったけど」。 

 それでも「おかげでバットを振る力はつきました。人よりも重いバットなので、まあ打球は飛びましたよ」と笑った。父との打ち込みは辛い日も多かったが、「自分の基礎になりました。プロに入ってもそこまで打撃を修正されることもなかったですから」と今では感謝している。

 越谷リトルシニアからの高校進学時には横浜高、東北高、花咲徳栄高、埼玉栄高など数々の強豪校からの誘いがあった。尊敬する先輩の母校だった浦和学院高を志望。同学年の野球部員は「100人くらいいた」というが、1年生で唯一人、1994年5月の春季関東大会でベンチ入り。2回戦で代打で初打席を迎えると、本塁打の“衝撃デビュー”を飾った。

右膝にできていた腫瘍…自打球を受け、検査で発覚

 同年夏の甲子園では2回戦で敗退となったが、1年生ながら大きな戦力として貢献していた。ところが、オフ直前の12月にまさかの出来事に見舞われた。練習試合で右膝に自打球を当て、念のためX線検査を受けると医師から「影みたいなものが写っています」と告げられた。

 埼玉県内の癌センターでMRI検査を受けたところ、腫瘍があることが確認された。すぐに手術を受けて腫瘍を除去。幸い早期発見で1週間程度の入院で終わった。

「びっくりしましたよ。不思議でしょ。全く痛みがなかったから気づかなかった。腫瘍は自打球とは全く関係なかった。でも自打球を当てていなかったら発見できていなかった。野球人生が終わっていたかもしれなかった」

 骨の一部ごと腫瘍を取り除き、骨盤の一部を膝に移植。しばらくは松葉杖生活を余儀なくされた。「骨がしっかり付くまで1年かかると言われていましたが、2年の春には部活に戻っていました。野球の動きはある程度はできたので。スライディングも曲げるのは左足だったし」。

 驚異的な回復力で戦列に復帰。野球ができる喜びを噛み締めながら、仲間と共に汗を流し、2年春、3年夏に再び甲子園の土を踏んだ。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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