戦力外の電話に「あれ?」…厳しさ知った現役ドラフト 週5で早朝から出勤、社会人の今

全川崎クラブでプレーする元ロッテ・成田翔【写真:町田利衣】
全川崎クラブでプレーする元ロッテ・成田翔【写真:町田利衣】

成田翔はロッテ、ヤクルトで計8年間プレーも未勝利…今季から全川崎クラブへ

 ロッテ、ヤクルトで計8年間プレーした成田翔投手は、今季から社会人クラブチームの全川崎クラブでプレーしている。昨季限りでヤクルトを戦力外となり、12球団合同トライアウトを受けるもNPBからのオファーはなかった。海外や社会人企業チームからの誘いもあった中、選んだのはクラブチームだった。

 2015年ドラフト3位で秋田商からロッテに入団。NPBで過ごした8年間を「高校のときは華の世界というか凄い世界に入れたなと思ったんですけど、正直苦しい8年間だったなと思います。一番は初勝利できなかったことが悔しいですし、与えられたチャンスを、何回も与えていただいたけどモノにできなかった。ファーム生活も長かったのできつかったなと思いますね」と率直に振り返った。

 プロ2年目だった2017年に1軍デビュー。2018年には野球日本代表「侍ジャパン」U-23代表としてW杯に出場して準優勝に貢献、ベストナイン(救援)に選ばれた。同年秋には代替選手ながら「日米野球」でトップチームも経験した。

 しかし飛躍のキッカケにすることはできなかった。1軍定着は叶わず、2022年は1軍出場なしに終わり、同年オフに初めて開催された現役ドラフトでヤクルトに移籍した。「可能性はあるかなと思っていたので、当日はドキドキというか準備はしていたので、電話が来たときは『そういうことか』という感じでした。チャンスをもらえる楽しみもありましたし、逆に移籍組なので少ないチャンスをモノにしないと定着できないという不安もあって、プラスマイナス両方あったかなと思います」。

 自身が感じていた通り、早々にチャンスはやってきた。4月25日に1軍に昇格すると、救援で3試合に登板。しかし防御率5.40と安定感を欠き、同30日に出場選手登録抹消。それ以降、声が掛かることはなかった。

全川崎クラブでプレーする元ロッテ・成田翔【写真:町田利衣】
全川崎クラブでプレーする元ロッテ・成田翔【写真:町田利衣】

「高校を出て野球しかやっていなかった」生活から一転、会社員へ

 それでも2軍では7月以降、19試合で失点したのは1試合のみ。「後半戦はファームで結果も出ていましたし、来年に向けてここからどうやっていこうかなと考えていた」という10月、戦力外通告を受けた。

「『あれ?』という気持ちは正直ありましたけど、結果の世界なので。3試合投げて打たれていたので仕方ないという気持ちも少しはありました。わずか1年……という思いが自分の中にはありましたし、『何でだ』っていうのもありましたけど、成績を出さないと残れない。1週間くらいは色々考えましたが、その後は切り替えて、次のチャンスがもらえるようにトライアウトに向けてやっていました」

 トライアウトでは打者3人に安打を許さず、しっかりアピールした。しかし、自ら決めた“1週間の期限”は過ぎた。「高校を出て、仕事とはいえ野球しかやっていなかった。プロがダメだったので社会勉強というか、社会人として仕事をしながら野球をできる形がいいなと思ったんです。プロ野球選手は30歳前後で終わってしまう人が多く、その後大半は別の世界で働く。だから1週間と期限を決めて、ダメなら早く次の道に行こうと。その中で自分に合っている環境だと思ったのが全川崎クラブでした」と説明した。

 26歳とまだ若いとはいえ、いきなり会社員として月曜から金曜まで、朝8時からみっちり働く生活に一変した。慣れない仕事も周囲の助けを借りながら「意外とすんなり入れたかなと思います」と笑う。「朝が早いのでファーム生活みたいな感じです。でも土日にリフレッシュをしながら野球ができて、いい環境かなと思います」と充実感を漂わせた。

 プロに比べれば、練習環境など恵まれないことは多い。それでも「こうやって大人が一生懸命野球をやっている。そういうのもあるんだなと実感しましたし、本気で都市対抗を目指しているチームなので、自分もその目標に向かって一緒に精一杯やっていきたいと思っています。プロは個人の目標もありますけど、今は個人よりチームですね」と成田。新たに見つけた夢に向け、走り出している。

(町田利衣 / Rie Machida)

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