矢野燿大から強奪した「必死のパッチ」 “留守”の間に活躍…お立ち台で多用して定着
阪神でプレーした関本賢太郎氏【写真:山口真司】お立ち台での「必死のパッチ」が定着、ゴミ持ち帰り奨励で甲子園美化委員長」に
元阪神内野手の関本賢太郎氏と言えば、ヒーローインタビューでの「必死のパッチ」が有名だった。関西弁で「死に物狂いで頑張る」との意味で昔から使われていた言葉を、2008年シーズンに阪神・矢野燿大捕手がお立ち台で口にし、それを関本氏がパクったと言われているが「あの時、活躍していなかったら、僕のものにはなっていなかったですよ」。恩師・岡田彰布監督との思い出なども含めて、当時を振り返ってもらった。
ヒーローインタビューでの締めの決まり文句。関本氏の場合は「必死のパッチ」がそれに該当し、ファンの間にも浸透したが、もともとは矢野捕手が言っていたことも広く知られている。「そうですね。最初は片岡(篤史)さんと矢野さんが言い出したんですよ。それで面白い言葉やなって思って、矢野さんが(北京)オリンピックに行っている間に乱用していたんです。その間に僕、ヒーローインタビューが6回くらいあったんです」。
関本氏は矢野先輩からのパクリを認めた上でこう続けた。「これみよがしに言っていたら自分のものになったんです。あの時、活躍していなくてヒーローインタビューに行っていなかったら、そうはならなかったと思いますよ。矢野さんは帰ってきてからヒーローインタビューで『あれは僕のもんですよ』って言っていましたけどね」。矢野とのそんなやり取りも込みで、これも現役時代の思い出のひとつだ。
“岡田の教え”は財産…アドバイスのタイミングが「絶妙なんです」
この年の阪神は2位。7月22日に優勝マジックを点灯させながら、巨人に逆転され、岡田監督が責任をとって辞任するという苦い思い出のシーズンでもあった。無念の思いでいっぱいだった。関本氏にとって岡田監督は2軍時代からお世話になっている恩師であり、恩人だ。自身の成長は、その出会いがあったからこそと言ってもいい。感謝してもしきれないほどだ。関本氏はこう話す。
「岡田監督がアドバイスをくれるタイミングって絶妙なんです。いったん悩ませて、泳がせて、自分で考えさせて、どうにもならない時しか声をかけてくれないから、声をかけてもらったら、めっちゃ良くなるんですよ。難しいことは言わないし、できることを、当たり前のことを言うというか、流れに逆らわないというかね」。その教えを受けたことは関本氏にとって財産でもある。
「例えばランナー三塁で犠牲フライを打ちなさいという時。犠牲フライって高めと低めとどっちが打ちやすいかといえば、高め。もしもバッティングの教科書があれば、高めのボールを打ちなさいとなるわけで、バッティングコーチが言うのもゾーンを上げて高めのボールを外野まで持って行け、なんですよ。その考えからすれば低めのボールは難しいわけですが、低めのボールを打ちなさいという岡田監督がいるわけですよ」。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)