バッテリーは知っていた球審の間違い “4ボール”でプレー続行…許した前代未聞の一撃

広島のスカウト統括部長を務める白武佳久氏【写真:山口真司】
広島のスカウト統括部長を務める白武佳久氏【写真:山口真司】

白武佳久氏は後楽園ラスト試合に登板、“カウント4-2”から一発を食らった

 前代未聞の一発を浴びた。現役時代に広島、ロッテで活躍した右腕の白武佳久氏(現・広島スカウト統括部長)は、巨人本拠地だった後楽園球場での最後のセ・リーグ公式戦勝利投手だ。広島時代の1987年10月18日の巨人戦に先発して、5回2/3を2失点で白星をつかんだ。だが、この日はまさかの事態にも見舞われた。4ボール2ストライクで四球のはずがカウント間違いでプレー続行となった上に被弾してしまった。あの時、マウンドではいったい……。

 後楽園球場は1987年シーズン限りで役目を終え、1988年から巨人の本拠地は東京ドームに変わった。後楽園での最後のNPB公式戦は1987年10月30日の巨人対西武の日本シリーズだったが、セ・リーグ公式戦のラストは10月18日の巨人対広島で、試合は5-2で広島が勝利。白武氏はその試合に先発して5回2/3を2失点で勝利投手。リリーフの川端順投手が3回1/3を無失点でセーブをマークした。

 白武氏はそんな節目の試合での“珍プレー投手”としても知られている。広島が4点リードの5-1で迎えた4回の巨人の攻撃だった。1死となって打者は巨人の5番打者・吉村禎章外野手。白武氏が投じたフルカウントからの7球目は見逃されてボールとなって四球。ところが、そのコールがないまま、試合続行。4ボール2ストライクから8球目を白武氏は投げた。通常ではあり得ないカウントからの勝負だったが、何と、それをレフトスタンドに運ばれたのだ。

 カウント2-2になった時、スコアボードに1ボール2ストライクと表示され、山本文男球審は達川光男捕手と吉村に確認したが、達川がスコアボードが正しいと言ったこともあって、間違ったカウントを確定させて進行し、4ボール2ストライクにまでなったと言われている。白武氏は「達川さんは違っていることをわかっていたと思うし、僕もフォアボールって思っていました。でも、もう1回勝負できるぞって思ったらホームランだったんですよね」と苦笑しきりだ。

「まだ勝っていたから、ひょうひょうとしていた」

 本当はなかった8球目。カウント4-2になった7球目を投げ終えた後、白武氏は達川捕手からボールを受け取ると、打者と捕手に背を向け、マウンドをならした。それから向き直して、ロジンに触れてから達川の出すサインを見て、投球動作に入った。それなりに時間をかけて投じた外角スライダーだったが、それをきれいにとらえられてしまったわけだ。ちなみにこれはセ・リーグ公式戦の後楽園球場ラスト本塁打。吉村にとっては初の30号到達アーチだった。

 白武氏は「ラッキーと思ったらアンラッキー。そりゃあ、打たれて何とも思わなかったわけではないですけど、あの試合はまだ勝っていましたからね。ひょうひょうとしていたと思いますよ。達川さんもしゃあない、しゃあないって感じでしたしね。それにあの日は低めにビシバシいっていたんでね」と笑う。前代未聞の一発を浴びながらも勝利投手になったのだから、精神的ダメージなんて特になかったようだ。

 プロ5年目、1987年の白武氏の成績は35登板、5勝4敗1セーブ、防御率3.69だった。ローテの谷間を埋める形で14試合に先発。出番は限定的ながらチームを支えた。巨人・江川卓投手が、広島・小早川毅彦内野手にサヨナラ本塁打を含む2発を浴び、引退を決意したと言われる9月20日の広島対巨人(広島)に3番手で登板して勝利投手になったり、リリーフでも活躍した。それこそ何でもこなした年だった。

 その中でも10・18の後楽園でのカウント4-2からのホームランは、白武氏には苦い思い出であると同時に、自身の記憶にも強烈に残っているシーンだ。「昔からのカープファンがビデオで撮っていて、見せてくれたりもしましたしね。それに、テレビとかでも何回も流されましたからね。珍プレーでね」。そう言って白武氏は笑みをこぼした。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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