長嶋一茂は「今は超一流」 伊勢孝夫の心残り…生かせなかった素質「練習は凄かった」

ヤクルト時代の長嶋一茂【写真提供:産経新聞社】
ヤクルト時代の長嶋一茂【写真提供:産経新聞社】

伊勢孝夫氏は燕コーチ時代に長嶋一茂を指導…練習では凄かったという

 試合と練習のギャップがありすぎた。元ヤクルト打撃コーチの伊勢孝夫氏(野球評論家)が“もったいなかった逸材”と評するのが長嶋一茂内野手(元ヤクルト、巨人)だ。「練習はすごいんですよ。広い球場でも場外にボッコボコ出すんですからね」。だが、その力を本番では発揮できなかった。「基本的にはプレーボールがかかるとボールが怖いんですよ。そういう人はまず無理です」。何とかその弱点を克服させようとしたそうだが……。

“ミスタープロ野球”長嶋茂雄氏の長男である一茂内野手は1987年ドラフト1位で立大からヤクルトに入団した。1年目(1988年)は88試合、打率.203、4本塁打、22打点だったが、当時、広島1軍コーチだった伊勢氏は、その練習を見て「こいつは凄い。バッティングコーチとしては1回預かってみたいと思う素材だった」と話す。それだけに1989年シーズンにヤクルト2軍打撃コーチになった際は、一茂を指導するのが楽しみのひとつでもあった。

 だが、実際に見てみると「何や、この程度かって思った」という。「それまでは中身を知りませんでしたからね。確かに練習だけだったらすごいんですよ。でもフリーバッティングはピッチャーが打たせにかかりますから。それならステップも真っ直ぐで、ものすごいバッティングをしますよ。だけどゲームになったらアウトステップする。インコースに放られると怖いんですよ。それがなくならない限り、何をやっても無理だって思いましたね」。

 矯正できれば間違いなく超一流の打者になれる逸材だっただけに、もったいなかったという。「一茂に『お前、ボールが怖いんか』って聞いたら『いいえ』という答えは返ってくるんですよ。だけど、ゲームになると結局、体がそういうふうに反応してしまうんですよ」。1990年からヤクルト監督に野村克也氏が就任し、伊勢氏は1軍打撃コーチとなり、さらに“未完の大器”一茂を何とかしようと指導にも力を入れたが、うまくいかなかった。

ヤクルトでコーチを務めた伊勢孝夫氏【写真:山口真司】
ヤクルトでコーチを務めた伊勢孝夫氏【写真:山口真司】

「何するんですか」…長嶋一茂の言葉に「何もしていないからだろ」

「膝のところにロープをつけて引っ張っても、腰が開かないようにロープを腰に巻き付けて後ろから引っ張って早く緩まないようにしても駄目でした」。早出練習もさせた。「『なぁ、一茂よ、練習というのは自分で考えてやる時間が必要なんや。だけど、俺はお前が早く出てきて自分で工夫してやろうとしているのを見たことがない。どうだ、明日からやってみないか。俺も来るから』って言ってね。そしたら次の日から来ましたよ。1時間くらい早めにね」。しかし……。

「早く来て『室内に行ってきまーす』って行きましたよ。でも10分もしないうちに戻ってきた。『マシンがセットしていないですよぉ』ってね。『バカヤロー、それも自分でやるんだよ』と言いましたけどね。3日も続かなかったんじゃないかなぁ」。キャンプ中に叱りつけたこともあった。「みんながクールダウンしている時に一茂は何もしていなかったんですよ。あんなに体が硬いのに。それで後ろに回って『何やっているんだ、ちゃんとやらんかぁ』ってどつきました」。

 それは伊勢氏が唯一、選手に手を上げたシーンだったという。「一茂が『何するんですか』と言うから『何もしていないからだろ』って言いましたよ」。長嶋ジュニアだからといって遠慮はしなかった。「とにかく、この素材を花開かせる方法はないだろうかと、そのことばかりでしたね。だから、何もやろうとしないと余計、歯がゆかった。ノムさんのミーティングの時もちらっと見たら漫画を書いていましたからね。ノートも1冊どころか1枚もないんじゃないですかねぇ」。

 1991年2月、宮崎・西都でのヤクルトキャンプでは長嶋茂雄氏を招き、一茂の指導をお願いした。「一茂の場合は私が言うより、親父に言ってもらう方が効き目があるかと思ってね。私が長嶋さんに電話しました。『一茂を指導しにきてやってくれませんか』ってね。来てくれましたよ。西都は大騒ぎでしたね」。これは野村監督からの指示ではなく、伊勢氏が考えたこと。ライバル関係にあった野村監督と長嶋氏は和やかなムードではなかったという。

父の長嶋茂雄氏にコーチをお願い…野村克也氏とは「ケツを向けたまま」

「2人ともずーっとケツを向けたままでしたからね。長嶋さんには本隊の練習が終わった後に別口で1時間ほど、一茂との時間を取っていたので、それまではここで待っていてくださいってベンチの横の部屋に案内したんですけど、ちょっと時間がたったら『伊勢くん、今行きましょうか』って言われて……。『いやいや、もうちょっと待っていてください』って言っても、それから10分くらいしたら、また『伊勢君、今行きましょうか』って」。

 この「今行きましょうか」「いや、まだです」のやりとりが2、3回は続いたという。「何ともせっかちな方だなぁと思いましたよ。で、一茂が1箇所でバッティングをしはじめたら、長嶋さん、ノムさんが持っていたノックバットをさっと取り上げて『今のはこうでしたよね、伊勢君』って」。これには野村監督も唖然としていたそうだ。「あの時は面白かったですね」と伊勢氏は当時を思い出しながら笑みをこぼした。

 しかし、肝心の一茂は伸び悩んだまま。1993年シーズンには、長嶋茂雄氏が監督に就任した巨人に移籍したが、そこでも結果を残せず、1996年限りで現役を引退した。通算成績は384試合、打率.210、18本塁打、82打点だった。伊勢氏は「パワーがあって、足だってそんなに遅くないし、肩だって強いし、フリーバッティングを見ていたら、これでどうしてリーグ戦で打てないのかっていう選手でしたよねぇ」と、改めて“もったいない選手”だったことを強調した。

 それほどの逸材だっただけに、打撃コーチとしては大成させられなかった悔しさもあるのだろう。手を変え、品を変えての指導。いろいろなことをやった分だけ思い入れもあっただけに……。現在、タレントとして活躍中の姿はもちろん、伊勢氏もテレビなどを通じて知っている。「今は超一流になっているじゃないですか。ハワイに別荘まで買ってね」と、何かしらほっとしたように話した。

【写真】結婚式で笑顔を見せる長嶋一茂氏の妻・仁子さん

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