優勝した巨人から苦情…「わかってるのか」 波乱呼んだ一撃、阪神主砲の“財産”

巨人戦で18号同点アーチを放った阪神時代の濱中治氏【写真提供:産経新聞社】
巨人戦で18号同点アーチを放った阪神時代の濱中治氏【写真提供:産経新聞社】

濱中治氏は2002年、田淵コーチから“うねり打法”を伝授された

“運命の出会い”が続いた。元阪神外野手の濱中治氏(野球評論家、関西独立リーグ・和歌山ウェイブスGM)はプロ6年目の2002年シーズン、怪我のため規定打席にこそ到達できなかったが、打率.301、18本塁打、51打点と、さらに自身を進化させた。この年から星野仙一監督体制。田淵幸一チーフ打撃コーチからは「より軸足の方にパワーを溜めていく」“うねり打法”の指導を受け、飛距離などもアップさせた。

 濱中氏は野村克也監督の教えによって、配球を勉強するようになり、打力向上につなげた。そんな恩人である野村監督は2001年12月に沙知代夫人の脱税問題によって辞任。中日監督を辞めたばかりの星野氏が急きょ、指揮官に就任した。濱中氏にとっては野村監督からまだまだ多くのことを学びたいと思っていた中での監督交代劇となったが、結果的には、この新体制もプラスをもたらした。

 何よりも大きかったのは田淵チーフ打撃コーチと“うねり打法”の考案者である手塚一志氏との出会いだった。「(高知・安芸)キャンプからやりはじめました。うねり打法って簡単に言えば、下半身を強く、もっと使いましょうというスイング。より軸足の方にパワーを溜めていく、右足の拇指球で踏ん張って打つというのをね。手塚さんからも月に1回ビデオレターが送られてきて田淵さんと一緒に見たりとかしていました」。

 その練習は大変だったという。「うねり打法をやっている時は疲れ方が全然違うんですよ。今までは楽して振っていたんだなって思いましたね」。なかなかうまくもいかなかった。「最初は苦労しました。下半身が大事なのはわかりますけど、上と下がホントにマッチすることが少なかったので……。言っていることは理解できるんですけど、それを実際にやるとなると、しっくりこない時期がありました。特に2002年のオープン戦の時はひどかったと思います」。

 シーズンに入っても試行錯誤は続いた。「シーズン中に(打撃フォームを)いじったりするのはけっこう危険なんですけど、それでも、しっくりしていない時期が多かったのでね。ホントにシーズンが進んでいくにつれて、徐々に徐々に自分の中でも感覚ができてきたという感じですね」。当初は野村前監督に教えられた配球を考える余裕もなかったそうだが、それも徐々に再開。最終的には“野村の考え”プラス“うねり打法”が大きな武器になった。

「その打法に変えてから、飛距離、滞空時間、打球の角度というのは2001年の時よりもかなり上がったように思いますね」。7月24日の巨人戦(甲子園)では「6番・左翼」で出場し、3-3の同点の9回裏に巨人・武田一浩投手からサヨナラ14号アーチ。「確か打者有利なカウントでスライダーを待って打ちました。これは野村さんに教えてもらったことが生きているっていうのがありましたね」。

元阪神・濱中治氏【写真:山口真司】
元阪神・濱中治氏【写真:山口真司】

巨人が優勝決めた試合で9回に同点弾「1、2を争うきれいなホームラン」

 8月には4番でも起用された。8月7日の広島戦(広島)では4番打者として初アーチ&プロ初の満塁弾となる17号を小林幹英投手からかっ飛ばした。勢いに乗っていた。しかし、8月9日の中日戦(ナゴヤドーム)での右翼守備でダイビングキャッチを試みた際に右手親指を骨折。「いまだにその手術の痕が残っています」と無念そうに振り返った。9月下旬に復帰したが、この約1か月の離脱が規定打席到達を阻んだ。本塁打ももっと増えそうだったのだが……。

 この年の濱中氏の本塁打数は18。怪我から復帰後は1本だけに終わったが、9月24日の巨人戦(甲子園)での18号は思い出の一発でもある。1-2の9回裏に河原純一投手から放った同点アーチだった。その日の試合前時点で、巨人の優勝へのマジックは1。阪神との試合中に2位・ヤクルトがナゴヤドームでの中日戦に敗れたため、優勝が決まった。甲子園でそのまま9回裏をゼロに抑え、歓喜の原辰徳監督胴上げ、となるところで濱中氏のバットが試合を振り出しに戻した。

「河原さんの甘いフォークをバックスクリーンに打ったのを今でも覚えていますね。ある程度フォークで来るだろうなと思っていたなかで打ちました。僕の中では1、2を争うきれいなホームランでした」。試合は延長戦に突入し、12回裏に阪神が3-2でサヨナラ勝ちした。「12回は打者が僕の時にワイルドピッチで終わったんですよね」。巨人はサヨナラ負け後に胴上げ。1年間を戦い抜いての優勝ながら、何かしら締まらない形になってしまった。

「次の日(巨人内野手の)元木(大介)さんに『お前、ビール掛け、何時から始まったと思っているんや。どんな気持ちで胴上げしたか、わかっているか』って冗談半分で言われたのも覚えていますね」。“うねり打法”をマスターして進化した濱中氏のバッティング。18号バックスクリーン弾もその成果による一撃でもあった。

 濱中氏は改めて田淵コーチに感謝する。「田淵さんの凄いところは、僕の意見を聞いてくれるんですよ。昔の方って“こうしろ、ああしろ、こうしないと使わへんぞ”って感じが多かった中、田淵さんが初めてかもわからないですね。“どうや、今のは”って会話をしながら教えてくれるというのは。“こうしたらええんちゃう” “いや、僕はこっちの方が……” “じゃあ、そっちにしようか”とかね。すべてにおいて受け入れやすかったです」。それも含めて濱中氏の財産だ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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