中日指揮官ブチギレ「お前のせいだ」 不可抗力の怪我なのに…突然の罰金100万円指令

元中日・星野仙一氏(左)と山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】
元中日・星野仙一氏(左)と山崎武司氏【写真提供:産経新聞社】

山崎武司氏は1996年6月に月間MVPも…忘れられぬ罰金100万円

 プロでは遅咲きのスラッガー・山崎武司氏(野球評論家)は、1996年に大ブレークした。1986年ドラフト会議で中日に2位指名されてから10年目のシーズン。39本でセ・リーグ本塁打王に輝き、打率はリーグ4位の.322、打点は同2位の107の堂々たる成績を残した。勢いを加速させた月間MVP受賞の6月、タイトル争い大詰めの10月には、それぞれ闘将・星野仙一監督絡みで忘れられない一件があったという。

 1996年6月の山崎氏の打棒はすさまじかった。5月までに9本放っていたホームランをさらに量産した。6月5日の阪神戦(甲子園)で藪恵壹投手から10号、8日の巨人戦(ナゴヤ球場)では木田優夫投手から11号、11日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)では松元繁投手から12号、12日の同カードでは2発。13号を吉井理人投手、14号を高津臣吾投手に浴びせ、その後も上乗せしていった。

 19日の巨人戦(ナゴヤ球場)でも槙原寛己投手から15号、16号と1試合2発。23日のヤクルト戦(札幌円山)では山部太投手から17号、26日の広島戦(ナゴヤ球場)では大野豊投手と井上祐二投手から18号と19号をかっ飛ばした。まだ続く。27日は広島・山内泰幸投手から20号を放ち、29日の横浜戦(ナゴヤ球場)では斎藤隆投手から21号と22号。6月は打率.403、13本塁打、33打点をマークして月間MVPに輝いた。

 そんな打ちまくりの6月で忘れられないのは、罰金の思い出だという。6月15日の広島戦(広島)に山崎氏は「6番・左翼」でスタメンだったが、初回の攻撃終了後、打席に立つことも守備に就くこともなく交代した。試合前の練習中に負傷していた。「(打撃練習に合わせての)エンドランの練習で(走りながら)打球を飛び越したらイレギュラーしてふくらはぎに当たった。痛くて歩けなくて何ともならなかった」。それで試合に出られなかった。

“悲劇”は1-4で敗れた試合後に起きた。「(1失点完投の)大野さんに抑えられて負けたんですけど、ヒーローインタビューで大野さんが『山崎がいなかったからよかった』と言って、それを知った星野さんがブチ切れたんです。『あいつのせいで負けた』ってね。それで、宿舎の俺の部屋に(監督付広報の)金山(仙吉)さんがやってきて『おっさん(星野監督)が罰金100万円って言っている』って言われたんですよ」と山崎氏は笑いながら明かした。

「練習中にやったのはしょうがないじゃないですか。不注意じゃないですよ」と思いながらも払ったそうだが、それも6月のさらなる打棒爆発への引き金になったかもしれない。山崎氏は翌16日の広島戦に代打でタイムリーを放ち、そのまま左翼守備に就くなど気力で痛みをカバー。続く19日の巨人戦からスタメン復帰して打ちまくった。罰金も高額だが、報奨金(監督賞)も高額だったと言われるだけに、当然、取り返しに燃えたはずだ。

巨人・松井秀喜、同僚の大豊泰昭に1本差で単独本塁打王

 この年の山崎氏はオールスターゲームに監督推薦で初出場した。セ・リーグの指揮官はヤクルト・野村克也監督。「(7月11日に)福井でヤクルト戦があった時に野村監督にお礼の挨拶に行ったのを今でも覚えていますよ。オールスターの時は緊張して何がなんだかわかりませんでしたけどね」。山崎氏にとって野村監督は、後に楽天でお世話になる大恩師。振り返れば、その時にも縁があったのだから、感慨深いものもあるようだ。

 星野監督とは、この年の10月にも強烈な思い出があるという。それは10月8日の巨人との最終戦(東京ドーム)。すでに39本塁打をマークしていた山崎氏を1本差で追う巨人・松井秀喜外野手はその日、打撃機会を増やすため「1番・右翼」で起用された。だが、これに対して中日先発の野口茂樹投手は星野監督の指令により、4打席連続四球で勝負を避けた。これに関しての話だ。

「試合前に監督室に呼ばれて『お前、ホームラン王を取りたいんか、取りたくないんか』って聞かれて『取りたいです』と言ったら『何とかしたるわ。今日、野口は松井と勝負しないから、お前は絶対打て!』と言われたんです」。それで野口は松井に全打席四球を与えたのだが、「5番・左翼」で出場の山崎氏は巨人投手陣から勝負されて、3打数無安打1四球。この結果に闘将が激高した。

「試合後、宿舎で監督に呼ばれて『お前、何で打たないんだ! お前、野口はなぁ』ってブン殴られました。野口も頑張っていましたからね」。巨人はその試合が最終戦で松井は山崎氏に1本及ばず38本に終わった。中日は翌10月9日の阪神戦(甲子園)がシーズン最終で、その試合では中日・大豊泰昭内野手が38号を放ったが、こちらもあと1本届かず、39本の山崎氏が単独でホームラン王に輝いた。

「松井と一緒だったら、世間の注目は松井になるから、松井とは分けたくなかったというのはありました。でも俺がホームラン王になるとはねぇ。まさかのまさかでしたね」。プロ入り後、下積みが長かっただけに喜びもひとしおだったことだろう。罰金も鉄拳も山崎氏は笑い話として振り返った。大ブレークの1996年は星野監督との思い出も含めて本当にいろんなことがあったわけだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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