低年俸で「移動のお金がない」…深夜の昇格電話 妻のヘソクリ10万円が生んだ初HR

プロ初本塁打を放った元西武・犬伏稔昌【写真提供:産経新聞社】
プロ初本塁打を放った元西武・犬伏稔昌【写真提供:産経新聞社】

元西武の犬伏氏はプロ初HRまで10年を要した

「左投手キラー」として西武でプレーした犬伏稔昌氏は、入団10年目で初本塁打を放った苦労人でもあった。2000年6月23日のオリックス戦で放ったプロ1号。実は「妻のヘソクリのおかげで打てたんです」。いったい何があったのか――。

 1990年ドラフト3位で大阪・近大付高から入団。1996年7月13日のダイエー(現ソフトバンク)戦での代打出場となった1軍デビューまで5年を要した。「けっこう(1軍に)呼ばれなかったですね。4年目ぐらいには上がれるかなとは思っていたのですが」。この初打席で初安打を記録したが、同年の出場は3試合で3打席に立ったのみ。そこから3年間は1軍出場機会がなかった。

 遠い1軍だったが、チャンスは2000年6月に突然訪れた。当時、1軍は左投手に苦戦しており、20日の大阪ドームでの対戦で左投げのナルシソ・エルビラにノーヒットノーランを食らった。その日の夜中、犬伏氏のもとに電話が入った「朝イチで大阪にきてくれ」。22日は西武に抜群の相性を誇るサウスポーの前川勝彦の先発が予定されていた。

「夜中12時くらいですよ。『えーっ!?』と」。当時の鈴木葉留彦打撃コーチは前年まで2年間、2軍監督を務めており、左投げで主に犬伏氏のフリー打撃で投手役を担当していた。犬伏氏の左投手への強さを知っており、スタッフミーティングで昇格を強く進言していたのだという。

 突然の連絡に焦ったのが犬伏氏だった。「移動しようにもお金がなかったんです」。万年2軍で「年俸は480万円くらいだったと思います。妻と子どもがいて、なんとか切り詰めて生活している状態だったので。僕らには用具提供なんてなかったので買っていましたし」。当時はコンビニにATMもない。途方にくれる犬伏氏に「はい」。路代(みちよ)夫人から封筒を手渡された。「これ何?」「私のヘソクリ」。中には現金10万円ほどが入っていた。

「そうか……ありがとう」。封筒を握りしめてタクシーに飛び乗り、まずは所沢の球団施設へ。ロッカールームで野球道具を遠征バッグに詰め込んだ。その時点で「深夜2時くらいでした」。さらにそのままタクシーで東京駅へ行き、始発を待って新幹線のチケットを購入して移動。新大阪駅から宿舎までもタクシー。すべてヘソクリで支払った。

取材に応じた元西武・犬伏稔昌【写真:湯浅大】
取材に応じた元西武・犬伏稔昌【写真:湯浅大】

今でも忘れぬ感謝「あのお金がなかったら…」

 チームに合流した21日は相手が右投手だったこともあり、練習を終えると首脳陣から「ホテルで眠っておけ」と本隊と離れて体調を整えた。迎えた22日、対前川要員として「8番・一塁」でプロ初スタメン。第1打席は三ゴロだった。しかも、この試合は西武打線が天敵の前川を攻略し、早々に右投手にスイッチしたことで犬伏氏も鈴木健と交代した。

 翌23日、本拠地・西武ドームに戻ってのオリックス戦。この試合も左腕の金田政彦が先発とあって「7番・指名打者」で出場すると第1打席でプロ初アーチとなる2ランを放った。試合も2-1で勝ち、犬伏氏の記念弾でチームは勝利を掴んだ。

「大慌てで大阪にいって、チームと一緒に戻ってきてプロ初ホームラン。あのお金がなかったらどうなっていたことか……。嫁が打たせてくれた初ホームランです」。家族がスタンドで見守る前で輝いた“脇役”。「移動費用はもちろん、後日球団には請求させていただき戻ってきましたけどね」。四半世紀近く立った今でも、妻への感謝の思いを忘れてはいない。

(湯浅大 / Dai Yuasa)

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